・・・彼はこうしたやんちゃ者の渦巻の間を、言葉どおりに縫うように歩きながら、しきりに急いだ。 眼ざして来た家から一町ほどの手前まで来た時、彼はふと自分の周囲にもやもやとからみつくような子供たちの群れから、すかんと静かな所に歩み出たように思って・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・と伝令すべく、よく馴らされてありしかば、この時のごとく声を揚げて二たび三たび呼ぶとともに、帳内深き処粛として物を縫う女、物差を棄て、針を措きて、ただちに謙三郎に来りつつ、笑顔を合すが例なりしなり。 今やなし。あらぬを知りつつ謙三郎は、日・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・あるいは丘に、坂、谷に、径を縫う右左、町家が二三軒ずつ門前にあるばかりで、ほとんど寺つづきだと言っても可い。赤門には清正公が祭ってある。北辰妙見の宮、摩利支天の御堂、弁財天の祠には名木の紅梅の枝垂れつつ咲くのがある。明星の丘の毘沙門天。虫歯・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ おとよはそっと枝折戸に鍵をさし、物の陰を縫うてその恋人を用意の位置に誘うた。 おとよは省作に別れてちょうど三月になる。三月の間は長いとも短いともいえる、悲しく苦しく不安の思いで過ごさば、わずか百日に足らぬ月日も随分長かった思いがし・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・いっそ蛍を飛ばすなら、祇園、先斗町の帰り、木屋町を流れる高瀬川の上を飛ぶ蛍火や、高台寺の樹の間を縫うて、流れ星のように、いや人魂のようにふっと光って、ふっと消え、スイスイと飛んで行く蛍火のあえかな青さを書いた方が、一匹五円の闇蛍より気が利い・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・ お定は気分のよい時など背中を起してちょぼんと坐り、退屈しのぎにお光の足袋を縫うてやったりしていたが、その年の暮からはもう臥たきりで春には医者も手をはなした。そして梅雨明けをまたずにお定は息を引き取ったが、死ぬ前の日はさすがに叱言はいわ・・・ 織田作之助 「螢」
・・・まるで洪水のような見送人の群で、傘、傘、傘、人、人、人の隙間を縫うて、私はSの姿を探し求めた。あちこちに××隊と書いた標識の棒が立っているのだが、墨が雨に流されて、字が判別しかねた。空しく探し求めていると、だんだんに私は胸騒ぎを覚えた。Sも・・・ 織田作之助 「面会」
忘れもせぬ、其時味方は森の中を走るのであった。シュッシュッという弾丸の中を落来る小枝をかなぐりかなぐり、山査子の株を縫うように進むのであったが、弾丸は段々烈しくなって、森の前方に何やら赤いものが隠現見える。第一中隊のシード・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ 舟はしばらく大船小船六七艘の間を縫うて進んでいたが、まもなく広々とした沖合に出た。月はますますさえて秋の夜かと思われるばかり、女はこぐ手をとどめて僕のそばにすわった。そしてまた月を仰ぎ、またあたりを見回しながら、「坊様、あなたはお・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・立てさせなければいけないのだし、と中畑さんが言うのにおっかぶせて、出来ますよ、出来ますよ、三越かどこかの大きい呉服屋にたのんでごらん、一昼夜で縫ってくれます、裁縫師が十人も二十人もかかって一つの着物を縫うのですから、すぐに出来ます、東京では・・・ 太宰治 「帰去来」
出典:青空文庫