・・・巻いて包むが、療治をするうちには双方の気のたるみから、踵を摺下って褄が波のようにはらりと落ちると、包ましい膝のあたりから、白い踵が、空にふらふらとなり、しなしなとして、按摩の手の裡に糸の乱るるがごとく縺れて、艶に媚かしい上掻、下掻、ただ卍巴・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・ 人の形が、そうした霧の裡に薄いと、可怪や、掠れて、明さまには見えない筈の、扱いて搦めた縺れ糸の、蜘蛛の囲の幻影が、幻影が。 真綿をスイと繰ったほどに判然と見えるのに、薄紅の蝶、浅葱の蝶、青白い蝶、黄色な蝶、金糸銀糸や消え際の草葉螟・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・びしゃりびしゃり、ばちゃばちゃと、舷で黒いものが縺れて泳ぐ。」「鼠。」「いや、お待ち下さい、人間で。……親子は顔を見合わせたそうですが、助け上げると、ぐしょ濡れの坊主です。――仔細を聞いても、何にも言わない。雫の垂る細い手で、ただ、・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・ 中脊で、もの柔かな女の、房り結った島田が縺れて、おっとりした下ぶくれの頬にかかったのも、もの可哀で気の毒であった。が、用を言うと、「はい、」と背後むきに、戸棚へ立った時は、目を圧えた手を離して、すらりとなったが、半紙を抽出して、立返る・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・けばけばしく彩った種々の千代紙が、染むがごとく雨に縺れて、中でも紅が来て、女の瞼をほんのりとさせたのである。 今度は、一帆の方がその傍へ寄るようにして、「どっちへいらっしゃる。」「私?……」 と傘の柄に、左手を添えた。それが・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・「ちょろちょろと燃えてる、竈の薪木、その火だがね、何だか身を投げた女をあぶって暖めているような気がして、消えぎえにそこへ、袖褄を縺れて倒れた、ぐっしょり濡れた髪と、真白な顔が見えて、まるでそれがね、向う門に立っている後妻に、はかない恋を・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・時代を浪費してしまったことや、恋人で娶った細君の老いてしまったことや、子供の多いことや、自分の生活の荒涼としていることや、時勢におくれて将来に発達の見込みのないことや、いろいろなことが乱れた糸のように縺れ合って、こんがらがって、ほとんど際限・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・隙間なく縺れた中を下へ下へと潜りて盾の裏側まで抜けはせぬかと疑わるる事もあり、又上へ上へともがき出て五寸の円の輪廓だけが盾を離れて浮き出はせぬかと思わるる事もある。下に動くときも上に揺り出す時も同じ様に清水が滑かな石の間をめぐる時の様な音が・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ただ、九州に来て、線の素直な、簡明な樹幹ばかり眺めていたところへ、いやに動物的にうねくって縺れ合った檳榔樹の体やばさばさふりかぶった葉を見、暗く怪奇な印象を与えられたのは面白い。なるほど、南洋土人が、この樹の下で踊るには、白く塗ったところへ・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
・・・ 深い夕靄の空に広告塔の飾光がつややかに燦くにつれ、私の胸の中にはその謡の幼い、単調な、其故却って物悲しい音律が、ロシア婦人の帽子の動きに縺れて響いて来た。 其位なら何故、私は、彼女のそばによって、一つの銀貨と引かえに、不用な画帖を・・・ 宮本百合子 「小景」
出典:青空文庫