・・・然ルニ皇制ノ余沢僻隅ニ澆浩シ維新以降漸次ソノ繁昌ヲ得タリ。乍チニシテ島原ノ妓楼廃止セラレテ那ノ輩這ノ地ニ転ジ、新古互ニ其ノ栄誉ヲ競フニオヨンデ、好声一時ニ騰々タルコトヲ得タリ。現在大楼ト称スル者今其ノ二三ヲ茲ニ叙スレバ即曰ク松葉楼曰ク甲子楼・・・ 永井荷風 「上野」
・・・水戸様時分に繁昌した富坂上の何とか云う料理屋が、いよいよ身代限りをした。こんな事をば、出入の按摩の久斎だの、魚屋の吉だの、鳶の清五郎だのが、台所へ来ては交る交る話をして行ったが、然し、私には殆ど何等の感想をも与えない。私は唯だ来春、正月でな・・・ 永井荷風 「狐」
・・・「こう毎日のように舟から送って来ては、首斬り役も繁昌だのう」と髯がいう。「そうさ、斧を磨ぐだけでも骨が折れるわ」と歌の主が答える。これは背の低い眼の凹んだ煤色の男である。「昨日は美しいのをやったなあ」と髯が惜しそうにいう。「いや顔は美しいが・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・例えば隣家は頻りに繁昌して財産も豊なるに、我家は貧乏の上に不仕合のみ打続く、羨ましきことなり憎らしきことなり、隣翁が何々の方角に土蔵を建てゝ鬼瓦を上げたるは我家を睨み倒さんとするの意なり、彼の土蔵が火事に焼けたらば面白からん、否な人の見ぬ間・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・これらの諸件、よく功を奏して一般の繁盛をいたせば、これを名づけて文明の進歩と称す。 一国の文明は、政府の政と人民の政と両ながらその宜を得てたがいに相助くるに非ざれば、進むべからざるものなり。就中、人民の政は思いのほかに有力なるものにして・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ 大方はすゝきなりけり秋の山 伊豆相模境もわかず花すゝき 二十余年前までは金紋さき箱の行列整々として鳥毛片鎌など威勢よく振り立て振り立て行きかいし街道の繁昌もあわれものの本にのみ残りて草刈るわらべの小道一筋を除きて外は草・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
山の神の秋の祭りの晩でした。 亮二はあたらしい水色のしごきをしめて、それに十五銭もらって、お旅屋にでかけました。「空気獣」という見世物が大繁盛でした。 それは、髪を長くして、だぶだぶのずぼんをはいたあばたな男が、小・・・ 宮沢賢治 「祭の晩」
・・・こちらは今日あたり繁昌です。私は三日目で、昨夜湯たんぽを二つあてて寝たら今日は大変によくなり、国男さんは青い総毛だった顔をして、どてらを着込んでいます。私の風邪は簡単なもので、もう大丈夫ですから御安心下さい。 ヘッセの『イリース』等を出・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 民主主義文学運動という声とともに、一部から反小林多喜二論は、反特攻隊精神と同性質のものであるかのように繁昌し、それとのたたかいに忙殺された。民主主義文学運動の中に、労働者階級の使命を明らかにして、おのずからプロレタリア文学の伝統のどの・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・その具体的な現われは、小田原の城下町の繁盛であった。それは京都の盛り場よりも繁華であったといわれているが、戦乱つづきの当時の状況を考えると、実際にそうであったかもしれない。 この北条早雲の名において、『早雲寺殿二十一条』という掟書が残っ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫