・・・青天鵞絨の海となり、瑠璃色の絨氈となり、荒くれた自然の中の姫君なる亜麻の畑はやがて小紋のような果をその繊細な茎の先きに結んで美しい狐色に変った。「こんなに亜麻をつけては仕様がねえでねえか。畑が枯れて跡地には何んだって出来はしねえぞ。困る・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ ちょっと受ける感じは、野放図で、ぐうたらみたいだが、繊細な神経が隅々まで行きわたっている。からだで掴んでしまった現実を素早く計算する神経の細かさ――それが眼にあらわれていると思った。 その部屋には、はじめは武田さんと私の二人切りだ・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・の肉に気がついた……怒ったような青筋に気がついた……彼の二の腕のあたりはまだまだ繊細い、生白いもので、これから漸く肉も着こうというところで有ったが、その身体の割合には、足だけはまるで別の物でも継ぎ合わせたように太く頑固に発達していた……彼は・・・ 島崎藤村 「足袋」
・・・を感じないために、余裕のできた舌の感覚が特別繊細になっているためかもしれないと思われる。 銀座でコーヒーを飲ませる家は数え切れないほどたくさんあるが、家ごとにみんなコーヒーの味がちがう。そうして自分でほんとうにうまいと思うコーヒーを飲ま・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ 大概は勇ましくまた殺伐な戦闘や簒奪の顛末であるが、それがただの歴史とはちがって、中にいろいろな対話が簡潔な含蓄のある筆で写されていたり、繊細な心理が素朴な態度でうがたれていたりするのをおもしろいと思った。それから一つの特徴としては、王・・・ 寺田寅彦 「春寒」
・・・パスカルの語を借りていえば、単に l'esprit de gomtrie[幾何学の精神]でなくて、l'esprit de finesse[繊細の精神]というものがあると思う。フランス哲学の特色は後者にある。同じデカルトの流を汲んだ人でも、マ・・・ 西田幾多郎 「フランス哲学についての感想」
・・・ 私が始めて気付いたことは、こうした町全体のアトモスフィアが、非常に繊細な注意によって、人為的に構成されていることだった。単に建物ばかりでなく、町の気分を構成するところの全神経が、或る重要な美学的意匠にのみ集中されていた。空気のいささか・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・だからあの繊細な衣のひだをちらっと乱私はまた思いました。 天人は紺いろの瞳を大きく張ってまたたき一つしませんでした。その唇は微かに哂いまっすぐにまっすぐに翔けていました。けれども少しも動かず移らずまた変りませんでした。(ここではあら・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・ほんの僅かな白雲が微に流れて端の枝を掠め、次の枝の陰になり、繊細な黒レースのような真中の濃い網めを通って彼方にゆく。 庭の隅でカサカサ、八ツ手か何かが戦ぐ音がした。 チュッチュッ! チー チュック チー。…… 暖い日向は、白い寝・・・ 宮本百合子 「或る日」
海辺の五時夕暮が 静かに迫る海辺の 五時白木の 質素な窓わくが室内に燦く電燈とかわたれの銀色に隈どられて不思議にも繊細な直線に見える。黝みそめた若松の梢にひそやかな濤のとどろきが通いもしよ・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
出典:青空文庫