・・・やがて片端から二三匹ずつ繰りだして、列を作って、小早に日の当る方へと泳いで行く。ちらちらと腹を返すのがある。水の底には、泥を被った水草の葉が、泥へ彫刻したようになっている。ややあって、ふと、鮒子の一隊が水の色とまぎれたと思うと、底の方を大き・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・「むかしのアルバムを、繰りひろげて見ているような気がします。人間は変っていませんが、服装は変っていますね。その服装を、微笑ましい気で見ている事もあります。」「何か、主義、とでもいったようなものを、持っていますか。」「生活に於いて・・・ 太宰治 「一問一答」
・・・ そっと老妻が二階へあがって来て、ゆっくり部屋の雨戸を繰りあけながら、「よく来たねえ。」 と一こと言った。 そとは、いくらか明るくなっていて、まっ白な山腹が、すぐ眼のまえに現われた。谷間を覗いてみると、もやもや朝霧の底に一条・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ 私はいま、自分の創作年表とでも称すべき焼け残りの薄汚い手帳のペエジを繰りながら、さまざまの回想にふける。私がはじめて東京で作品を発表した昭和八年から、二十年まで、その十二箇年間、私はあのサロンの連中とはまるっきり違った歩調であるいて来・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・二度とふたたびお逢いできぬだろう心もとなさ、謂わば私のゴルゴタ、訳けば髑髏、ああ、この荒涼の心象風景への明確なる認定が言わせた老いの繰りごと。れいの、「いのち」の、もてあそびではない。すでに神の罰うけて、与えられたる暗たんの命数にしたがい、・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・起きあがって雨戸を繰りあけ、見ると隣りの家の竹垣にむすびつけられている狆が、からだを土にこすりつけて身悶えしていた。三郎は、騒ぐな、と言って叱った。狆は三郎の姿をみとめて、これ見よがしに土にまろび竹垣を噛み、ひとしきり狂乱の姿をよそおい、き・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・という言葉を繰り返す。「粥釣りをさせてください」という意味の方言なのである。すると家々ではかねて玄関かその次の間に用意してある糯米やうるちやあずきや切り餅を少量ずつめいめいの持っている袋に入れてやる。みんなありがとうともなんとも言わずにそれ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・しめやかなランプの光の下に、私は母と乳母とを相手に、暖い炬燵にあたりながら絵草紙錦絵を繰りひろげて遊ぶ。父は出入りの下役、淀井の老人を相手に奥の広間、引廻す六枚屏風の陰でパチリパチリ碁を打つ。折々は手を叩いて、銚子のつけようが悪いと怒鳴る。・・・ 永井荷風 「狐」
・・・前の方を繰りひろげて見ると日本人の姓名は一人もない。して見ると日本人でここへ来たのは余が始めてだなと下らぬ事が嬉しく感ぜられる。婆さんがこちらへと云うから左手の戸をあけて町に向いた部屋に這入る。これは昔し客間であったそうだ。色々なものが並べ・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・と女は右の手を高く挙げて広げたる掌を竪にランスロットに向ける。手頸を纏う黄金の腕輪がきらりと輝くときランスロットの瞳はわれ知らず動いた。「さればこそ!」と女は繰り返す。「薔薇の香に酔える病を、病と許せるは我ら二人のみ。このカメロットに集まる・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫