・・・「と云うと私がひどく邪推深いように聞えますが、これはその若い男の浅黒い顔だちが、妙に私の反感を買ったからで、どうも私とその男との間には、――あるいは私たちとその男との間には、始めからある敵意が纏綿しているような気がしたのです。ですからそ・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・滑かな上方弁の会話が、纏綿として進行する間に、かちゃかちゃ云うフォオクの音が、しきりなく耳にはいって来た。 が、幸い本間さんには、少しもそれが気にならない。何故かと云うと、本間さんの頭には、今見て来た驚くべき光景が、一ぱいになって拡がっ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・ その中に、主従の間に纏綿する感情は、林右衛門の重ねる苦諫に従って、いつとなく荒んで来た。と云うのは、独り修理が林右衛門を憎むようになったと云うばかりではない。林右衛門の心にもまた、知らず知らず、修理に対する憎しみが、芽をふいて来た事を・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・欧化気分がマダ残っていたとはいえ、沼南がこの極彩色の夫人と衆人環視の中でさえも綢繆纏綿するのを苦笑して窃かに沼南の名誉のため危むものもあった。果然、沼南が外遊の途に上ってマダ半年と経たない中に余り面白くない噂がポツポツ聞えて来た。アアいう人・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・何の関係もない色々の工場で製造された種々の物品がさまざまの道を通ってある家の紙屑籠で一度集合した後に、また他の家から来た屑と混合して製紙場の槽から流れ出すまでの径路に、どれほどの複雑な世相が纏綿していたか、こう一枚の浅草紙になってしまった今・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・そうして音楽の場合の一つ一つの音に相応するものがいろいろの物象や感覚の心像、またそれに付帯し纏綿する情緒である。これらの要素が相次ぎ相重なって律動的旋律的和声的に進行するものが俳諧連句である。従ってこれらの音に相当する要素には一つ一つとして・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 年来 多病にして前因を感じ旧恨纏綿夢不レ真。 旧恨 纏綿として夢真ならず今夜水楼先得レ月。 今夜 水楼 先ず月を得て清光偏照善愁人。 清光 偏えに照らす 善だ愁うの人〕なぞいうのがあった。今日読返して見・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・ わたくしはまた更に為永春水の小説『辰巳園』に、丹次郎が久しく別れていたその情婦仇吉を深川のかくれ家にたずね、旧歓をかたり合う中、日はくれて雪がふり出し、帰ろうにも帰られなくなるという、情緒纏綿とした、その一章を思出す。同じ作者の『湊の・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・ただ拘泥せざるを特色とする、人事百端、遭逢纏綿の限りなき波瀾はことごとく喜怒哀楽の種で、その喜怒哀楽は必竟するに拘泥するに足らぬものであるというような筆致が彼らの人生に齎し来る福音である。彼らのかいたものには筋のないものが多い。進水式をかく・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・春風馬堤曲に溢れたる詩思の富贍にして情緒の纏綿せるを見るに、十七字中に屈すべき文学者にはあらざりしなり。彼はその余勢をもって絵事を試みしかども大成するに至らざりき。もし彼をして力を俳画に伸ばさしめば日本画の上に一生面を開き得たるべく、応挙輩・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫