・・・すると突然聞えて来たのは、婆さんの罵る声に交った、支那人の女の子の泣き声です。日本人はその声を聞くが早いか、一股に二三段ずつ、薄暗い梯子を駈け上りました。そうして婆さんの部屋の戸を力一ぱい叩き出しました。 戸は直ぐに開きました。が、日本・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・姫や若の顔、女房の罵る声、京極の屋形の庭の景色、天竺の早利即利兄弟、震旦の一行阿闍梨、本朝の実方の朝臣、――とても一々数えてはいられぬ。ただ今でも可笑しいのは、その中にふと車を引いた、赤牛の尻が見えた事じゃ。しかしおれは一心に、騒がぬ容子を・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ところがそれよりも先にけたたましい日和下駄の音が、改札口の方から聞え出したと思うと、間もなく車掌の何か云い罵る声と共に、私の乗っている二等室の戸ががらりと開いて、十三四の小娘が一人、慌しく中へはいって来た、と同時に一つずしりと揺れて、徐に汽・・・ 芥川竜之介 「蜜柑」
・・・ブイは水兵たちの罵る声と一しょに海の上へ飛んで行った。しかし勿論××は敵の艦隊を前にした以上、ボオトをおろす訣には行かなかった。水兵はブイにとりついたものの、見る見る遠ざかるばかりだった。彼の運命は遅かれ早かれ溺死するのに定まっていた。のみ・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・興奮が来ると人前などをかまってはいない父の性癖だったが、現在矢部の前でこんなものの言い方をされると、彼も思わずかっとなって、いわば敵を前において、自分の股肱を罵る将軍が何処にいるだろうと憤ろしかった。けれども彼は黙って下を向いてしまったばか・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ ――わあ―― と罵るか、笑うか、一つ大声が響いたと思うと、あの長靴なのが、つかつかと進んで、半月形の講壇に上って、ツと身を一方に開くと、一人、真すぐに進んで、正面の黒板へ白墨を手にして、何事をか記すのです、――勿論、武装のままであ・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・こうと知ったら、定めし白髪を引ひきむしって、頭を壁へ打付けて、おれを産んだ日を悪日と咒って、人の子を苦しめに、戦争なんぞを発明した此世界をさぞ罵る事たろうなア! だが、母もマリヤもおれがこうもがきじにに死ぬことを風の便にも知ろうようがな・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・原口の出て行った後で、笹川は不機嫌を曝けだした、罵るような調子で私に向ってきた。 私は恐縮してしまった。「いやけっしてその、そんな風に考えているというわけでもないのだがね……。それでやはり、原口君もいくらか借りてるというわけかね?」・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・ と例の大声で罵るのが手に取るように聞えた。村長は驚いて誰が叱咤られるのかとそのまま足を停めて聞耳を聳てていると、内から老僕倉蔵がそっと出て来た。「オイ倉蔵、誰だな今怒鳴られているのは?」村長は私語いた。倉蔵は手を以てこれを止めて、・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 何か、橇の上から支那語の罵る声がきこえた。ワーシカは引鉄を引いた。手ごたえがあった。ウーンと唸る声がした。同時に橇は、飛ぶような速力を出した。つづいて、シーシコフが発射した。 銃の響きは、凍った闇に吸いこまれるように消えて行った。・・・ 黒島伝治 「国境」
出典:青空文庫