・・・すべて言葉で、おかゆ一口一口、銀の匙もて啜らせ、あつものに浮べる青い三つ葉すくって差しあげ、すべてこれ、わが寝そべって天井ながめながらの巧言令色、友人は、ありがとうと心からの謝辞、ただちにグルウプ間に美談として語りつがれて、うるさきことのみ・・・ 太宰治 「創生記」
・・・まことに美談というべきである。たのもしい心がけである。もちろん之は、ただちに上司にも報告するつもりである。ただいま、その者の名を呼びます。その者は、この五百人の会員全部に聞えるように、はっきりと、大きな声で返辞をしなさい。」 まことに奇・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・いいことだ。美談だ。しかし、僕が外から声をかけたとたんに、お前はふっと姿をかき消したが、あれは、どういうご親切からなんだい? いやだったからです。 へんだね。いったい、なんとお答えしたらいいのです。 まあ、いいや。よそう。つ・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・ けれども、その美談は決して嘘ではない。たしかに、そのような事実が、この世に在ったのである。 ここに作者の幻想の不思議が存在する。事実は、小説よりも奇なり、と言う。しかし誰も見ていない事実だって世の中には、あるのだ。そうして、そのよ・・・ 太宰治 「一つの約束」
・・・ わが終生の祈願 天にもとどろきわたるほどの、明朗きわまりなき出世美談を、一篇だけ書くこと。 わが友 ひとこと口走ったが最後、この世の中から、完全に、葬り去られる。そんな胸の奥の奥にしまってい・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・いや、妙な美談の主人公になろうとして、こんな事を言っているのではありません。他の人も、たいていそんな気持で、日本のために力を尽したのだと思います。 はっきり言ったっていいんじゃないかしら。私たちはこの大戦争に於いて、日本に味方した。私た・・・ 太宰治 「返事」
・・・明治初年の、佳人之奇遇、経国美談などを、古本屋から捜して来て、ひとりで、くすくす笑いながら読んでいる。黒岩涙香、森田思軒などの飜訳をも、好んで読む。どこから手に入れて来るのか、名の知れぬ同人雑誌をたくさん集めて、面白いなあ、うまいなあ、と真・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・一方ではまた「経国美談」「佳人之奇遇」のごとき、当時では最も西洋臭くて清新と考えられたものを愛読し暗唱した。それ以前から先輩の読み物であった坪内氏の「当世書生気質」なども当時の田舎の中学生にはやはり一つの新しい夢を吹き込むものであった。宮崎・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・またたとえば忠犬美談で甲新聞が人気を呼ぶと、あとからあとからいろいろな忠犬物語がほうぼうから出て来て、日本じゅうが犬だらけになり昭和八犬伝ぐらいはまたたくひまに完成するのである。一犬は虚をほえなくても残る万犬の中にはうそ八百をほえるようなの・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・矢野竜渓の「経国美談」を読まない中学生は幅がきかなかった。「佳人の奇遇」の第一ページを暗唱しているものの中に自分もいたわけである。 宮崎湖処子の「帰省」が現われたとき当時の中学生は驚いた。尋常一様な現実の生活の描写が立派な文学でありうる・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
出典:青空文庫