・・・ 翻って第三の平凡人物即ち「端役の人物」を観ますと、ここに面白い現象が認められます。例を申しましょうなら、端役の人物の事ゆえ『八犬伝』を御覧の方でも御忘れでしょうが、小文吾が牛の闘を見に行きました時の伴をしました磯九郎という男だの、角太・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・しかしだんだん種々の世故に遭遇するとともに、翻って考えると、その同情も、あらゆる意味で自分に近いものだけ濃厚になるのがたしかな事実である。して見るとこれもあまり大きなことは言えなくなる。同情する自分と同情される他者との矛盾が、死ぬか生きるか・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・ この自然現象の表示としての微分方程式の本質とその役目とをこういうふうに考えてみた後に、翻って文学の世界に眼を転じて、何かしらこれに似たものはないかと考えてみると、そこにいろいろな漠然とした類推の幻影のようなものが眼前に揺曳するように感・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ 翻って考えてみると、科学者自身の間にもまたこのジャーナリズムのそれのような類型的の見方をする傾向が多分に存在している。従来用い古した解析的方法に容易にかかるような現象はだれも彼も手をつけて研究するが、従来の方法だけでは手におえないよう・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・どうもはなはだふに落ちない不都合な話だと思ったのであったが、しかし翻ってこれを善意に解釈してみると、やはり役人たちがめいめい思い思いの赤誠の自我を無理押しし合ったのでは役所という有機的な機関が円滑に運転しないから困るという意味であるらしい。・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・も統計的には立派に存在しているのである。翻って従来の決定派の物理学について考えてみても一度肉眼的領域を通り越して分子原子電子の世界に入ればもはやすべての事がらは統計的、蓋然的な平均とその変異との問題にほごされてしまう。のみならず今日ではその・・・ 寺田寅彦 「日常身辺の物理的諸問題」
・・・しかし翻って考えて見ると、子の死を悲む余も遠からず同じ運命に服従せねばならぬ、悲むものも悲まれるものも同じ青山の土塊と化して、ただ松風虫鳴のあるあり、いずれを先、いずれを後とも、分け難いのが人生の常である。永久なる時の上から考えて見れば、何・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・俳句界においてこの人を求むるに蕪村一人あり。翻って芭蕉はいかんと見ればその俳句平易高雅、奇を衒せず、新を求めず、ことごとく自己が境涯の実歴ならざるはなし。二人は実に両極端を行きて毫も相似たるものあらず、これまた蕪村の特色として見ざるべけんや・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ゴーリキイをしてしかく人類的な光彩ある活動と、才能の満開とを可能ならしめた社会の文化的条件を想い、翻ってその招来のためにゴーリキイが作家的出発の当初から共に労して来た歴史の推進力との相互的関係に思い潜めて、それぞれの国における歴史と文化との・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・作者として一郎のこの不満に万腔の支持を与えている漱石は、翻って直の涙の奥底をどこまで凝っと見守ってやっているだろう。直は、家庭のこまこました場合、淋しい靨をよせて私はどうでも構いませんというひとである。「妾のような魂の抜殼はさぞ兄さんにはお・・・ 宮本百合子 「漱石の「行人」について」
出典:青空文庫