・・・拍手の音が細そりした老年の婦人議長を舞台の方へふきとばした。 日本女のまわりは完全に陽気な祭のさわぎだ。 ――ナターシャ! ナターシャ! 早くこっちへおいでったら。 ――ミーチャ、どこ? ――見なかった? あっちへ場所見・・・ 宮本百合子 「三月八日は女の日だ」
私は先日来、福島県下にある祖父の旧宅に来ている。 祖父の没後久しく祖母独り家を守っていたが、老年になったのでこれも東京に引移り、今は一年の大部分空家になっている。夏の休暇に母が子達をつれて来たり、時折斯うやって私が祖母・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
・・・額のかかっている応接間まで歩いて来られ、ラグーザ玉子が、老年なのに心から絵に没頭していて質素な生活に安らいでいることや、孝子夫人の心持をよろこんで、会心の作をわけたことを快よさそうに語られた。 ラグーザ玉子の画境は、純イタリー風で、やや・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・中年と呼ばれる時代のなかにはらまれている青春。老年のなかにも不思議に蔵されていて輝く青春。そういうものもあることがわかる。そして、そういう青春が生活力として或は創造力として意外につよいもので、人類のよろこびといい得るような仕事をした人々の生・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・のちに知行二百石の側役を勤め、算術が達者で用に立った。老年になってからは、君前で頭巾をかむったまま安座することを免されていた。当代に追腹を願っても許されぬので、六月十九日に小脇差を腹に突き立ててから願書を出して、とうとう許された。加藤安太夫・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・連歌の名匠心敬に右のごとき言葉があることを知ったのも、老年になってからである。しかし心敬のあげた証拠だけを見ても、この時代が延喜時代に劣るとは考えられない。心敬は猿楽の世阿弥を無双不思議とほめているが、我々から見ても無双不思議である。能楽が・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・ 老年の先生を信州の山の中に追いやった戦禍のことを思うと、まことに心ふさがる思いがするが、しかしそれが機縁になってこの歌集が生まれたことを思えば、悪いことばかりではなかったという気もする。田舎住なま薪焚きてむせべども躑躅山吹花咲・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
・・・しかし父はもう老年でこの内のどれにもなれない。しからばあとに残されたのは、皇居離宮などのまわりをうろつくか、または行幸啓のときに路傍に立つことのみである。それは平時二重橋前に集まり、また行幸啓のとき路傍に立っている人々の行為と、なんら異なっ・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・しかしその重大な意義は中年になり老年になるに従ってますます明らかに現われて来ます。青春の弾性を老年まで持ち続ける奇蹟は、ただこの教養の真の深さによってのみ実現されるのです。 元来肉体の老衰は、皮膚や筋肉がだんだん弾性を失って行くという著・・・ 和辻哲郎 「すべての芽を培え」
・・・それは男であるか女であるか、あるいは老年であるか若年であるか、とにかく人の顔面を現わしてはいる。しかし喜びとか怒りとかというごとき表情はそこには全然現わされていない。人の顔面において通例に見られる筋肉の生動がここでは注意深く洗い去られている・・・ 和辻哲郎 「面とペルソナ」
出典:青空文庫