・・・自分が決してどん底の者でないことが感じられていたのだが――沢やの婆が行ってしまったら、後に、誰か自分より老耄れた、自分より貧乏な、自分より孤独な者が残るだろうか? 自分が正直に働いてい、従って真逆荷車で村から出されるようなことにならない・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・子供のように、赤いつやつやした両頬で、楽しそうにはしていたが、二三ヵ月前に比べると、ぐっと老耄したように見えた。弱々しいあどけなさめいたものが、体の運び方に現れた。私は、思わず、「おばあちゃん、いかがでした、安積は」と云った。御祖母・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・どうも老耄しかけて居る。――そうは思わないか。眠けざましに、イシオピア人の真似でもして天の一揆を工もうか。ヴィンダー あの時結局勝ったのが誰だか忘れるな、矢張レーだ。ミーダ 俺達にでも堪えるべき運命があると云うのか?――ああ、ああ、・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・ けれども、そうは出来ない彼は、また自分の心がそれを望んでいるのだとは気づかない彼は、老耄が、もう来たと思った。が、それを拒むほど、彼は若くていたくもなかったのである。 心がいつもいつも何かどんよりした、厚みのある霧のようなもので包・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
一 一九一七年に、世界は一つの新しい伝説を得た。「ロシア革命」。当時、そのロシアに住んでいた者は、物心づいた子供から、老耄の一つ手前に達した年寄りまで、それぞれ一生の逸話を拾った。逸話は、いかにもこの・・・ 宮本百合子 「街」
・・・』 相手はまた怒鳴った、『黙れ、老耄、拾った奴が一人いて、返した奴が別に一人いたのよ。それで世間の者はみんなばかなのさ。』 老人は呼吸を止めた。かれはすっかり知った。人々はかれが党類を作って、組んで手帳を返したものとかれを詰るの・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
某儀今年今月今日切腹して相果候事いかにも唐突の至にて、弥五右衛門奴老耄したるか、乱心したるかと申候者も可有之候えども、決して左様の事には無之候。某致仕候てより以来、当国船岡山の西麓に形ばかりなる草庵を営み罷在候えども、先主・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
出典:青空文庫