・・・に、わざとくにゃくにゃとからだを曲げ、ことさらに、はにかんで見せたり致しまして、じゃんけんしたら、奥さんのまけで、私がさきにかくれる事になりましたが、その時、学校の玄関のほうで物音がしまして、奥さんは聞き耳を立て、ちょっと行って見てまいりま・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・私は聞き耳を立て、「おや、もうお手前がはじまったのかしら。お手前は必ず拝見しなければならぬ事になっているのだけど。」 気が気でなかった。襖はぴったりしめ切られている。先生は一体、どんな事をやらかして居られるのか、じゃぼじゃぼという音・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・三郎は先刻より頭をもたげ眼をぱちぱちさせながら聞き耳をたてていたのであった。起きあがって雨戸を繰りあけ、見ると隣りの家の竹垣にむすびつけられている狆が、からだを土にこすりつけて身悶えしていた。三郎は、騒ぐな、と言って叱った。狆は三郎の姿をみ・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・遠くから聞こえて来る太鼓の音に聞き耳をたてるヒロインの姿から、一隊の兵士の行進している長い市街のヴィスタが呼び出され描き出される。霧の甲板にひびく汽笛の音とその反響によってある港の夜の空間が忽然として観客の頭の中に広がるのである。 音が・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・それに探偵が聞き耳を立てるところに一編の山がある。こういう例はあげれば際限なくあげられるかもしれないが、しかし概して自動車の音、ピストルの響きの紋切り形があまりにうるさく幅をきかせ過ぎて物足りない。ほかにいくらでもいいものがあるのを使わない・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・わざわざ立って行って、何でもないといまいましいから、気にかからないではなかったが、やはりちょっと聞耳を立てたまま知らぬ顔ですましていた。その晩寝たのは十二時過ぎであった。便所に行ったついで、気がかりだから、念のため一応縁側へ廻って見ると――・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・二人はぎょっとして聞き耳をたてた。 音はなくなった。(今頃探鉱嘉吉は豆の餅を口に入れた。音がこちこちまた起った。(この餅拵えるのは仙台領嘉吉はもうそっちを考えるのをやめて話しかけた。おみちはけれども気の無さそうに返事してまだおもての・・・ 宮沢賢治 「十六日」
・・・ S子の顔を見るまでは落つけないのだから―― 今ベルがなるか今ベルがなるかと聞耳をたてて居る。 ジジー! ベルがなる。 私は玄関に飛び出す。 見るとS子ばかりじゃあなく、T子もA子も来た。「さあ早く御上んなさい。・・・ 宮本百合子 「秋風」
出典:青空文庫