・・・客の一人は河岸の若い衆、もう一人はどこかの職工らしかった。我々は二人ずつ向い合いに、同じ卓に割りこませて貰った。それから平貝のフライを肴に、ちびちび正宗を嘗め始めた。勿論下戸の風中や保吉は二つと猪口は重ねなかった。その代り料理を平げさすと、・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・――「職工か何かにキスされたからですって。」「そんなことくらいでも発狂するものかな。」「そりゃするわ。すると思ったわ。あたしもゆうべは怖い夢を見た。……」「どんな夢を?――このタイはもう今年ぎりだね。」「何か大へんな間違・・・ 芥川竜之介 「たね子の憂鬱」
・・・その中に職工の姿が黒く見える。すすびたシャツの胸のはだけたのや、しみだらけの手ぐいで頬かぶりをしたのや、中には裸体で濡菰を袈裟のように肩からかけたのが、反射炉のまっかな光をたたえたかたわらに動いている。機械の運転する響き、職工の大きな掛声、・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・二万噸の××は高い両舷の内外に無数の職工をたからせたまま、何度もいつにない苛立たしさを感じた。が、海に浮かんでいることも蠣にとりつかれることを思えば、むず痒い気もするのに違いなかった。 横須賀軍港には××の友だちの△△も碇泊していた。一・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・ フレンチの向側の腰掛には、為事着を着た職工が二三人、寐惚けたような、鼠色の目をした、美しい娘が一人、青年が二人いる。 フレンチはこの時になって、やっと重くるしい疲が全く去ってしまったような心持になった。気の利いたような、そして同時・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・九州の土地でたとえ職工をしてでも自活し、娘を引き取って余生を暮したい。蝶子にも重々気の毒だが、よろしく伝えてくれ。蝶子もまだ若いからこの先……などとあった。見せたらことだと種吉は焼き捨てた。 十日経ち、柳吉はひょっくり「サロン蝶柳」へ戻・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 例を車夫や職工にとって、食って行けないはずはないと主張するのである。むろん食うに食われない理屈はない、家賃、米代以下お新の学校費まで計算して、なるほど二十五円で間に合わそうと思えば間に合うのである。 それで石井翁の主張は、間に合い・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・ メリヤス工場の職工募集員は、うるさく、若者や娘のある家々を歩きまわっていた。三 トシエは、家へ来た翌日から悪阻で苦るしんだ。蛙が、夜がな夜ッぴて水田でやかましく鳴き騒いでいた。夏が近づいていた。 黄金色の皮に、青味・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・ お君が首になったというので、メリヤス工場の若い職工たちは寄々協議をしていた。お君の夫がこの工場から抜かれて行ってから、工場主は恐いものがいなくなったので、勝手なことを職工達に押しつけようとしていた。首切り、それはもはやお君一人のことで・・・ 小林多喜二 「父帰る」
・・・ そのうちに、町には急に或大工場が出来て、何千人という職工たちが移住して来ました。そのために、町の外へは、どんどん家がたちつまりました。こうして町が大きくなるにつれて、方々からいろいろの人がどっさり入りこんで来ます。その中には、浮浪人も・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
出典:青空文庫