・・・医者という職業上から、父は患者以外の来客を煩さがって居た。父の交際法は西洋式で、いつも倶楽部でばかり人に会って居た。そこで僕の家の家風全体が、一体に訪問客を悦ばなかった。特に僕の所へ来る客は厭がられた。それはたいてい垢じみた着物をきて、頭を・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・その一年の間に、他人の生活の何千年かを蛹にしてしまう職業に携っている、その人間の一年では絶対にないのであった。その人は、社会的に尊敬され、家庭的に幸福でありながら、他の人の一生を棒に振ることも出来た。彼には三百六十五日の生活がある! 彼には・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・かつまた天下の人、ことごとく文才を抱くべきにもあらざれば、辺境の土民、職業忙わしき人、晩学の男女等へ、にわかに横文字を読ませんとするは無理なり。これらへはまず翻訳書を教え、地理・歴史・窮理学・脩心学・経済学・法律学等を知らしむべし。・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・で、私の職業の変遷を述べれば、官報局の翻訳係、陸軍大学の語学教師、海軍省の編輯書記、外国語学校の露語教師なぞという順序だが、今云った国際問題等に興味を有つに至って浦塩から満洲に入り、更に蒙古に入ろうとして、暫時警務学堂に奉職していた事なんぞ・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・あなたはお職業柄で女の心を御承知でいらっしゃるはずでございますからね。それにあなたは世間の事をよく御承知で、法律にもお精しいことを承知いたしています。わたくしは万事打明けてお願申すつもりでございます。わたくしの幸福と申すのは可笑しゅうござい・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ これは主に虫仲間からたのまれて、紫蘇の実やけしの実をひろって来て花ばたけをこしらえたり、かたちのいい石や苔を集めて来て立派なお庭をつくったりする職業でした。 こんなようにして出来たきれいなお庭を、私どもはたびたび、あちこちで見ます・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・これらの飾らず、たくまざる人々の記録と、職業家のルポルタージュとの対比は、文学に関心をもつ者の心に真摯な考慮を呼びさまさずにはいない。又、いつかは「支那さん」と呼ばれている人々の記述も広汎な世界の文学の領野にあらわれて来る日があるであろう。・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・新聞に従事して居る程の人は固より知って居られるであろうが、今の分業の世の中では、批評というものは一の職業であって、能評の功を成就せんと欲するには、始終その所評の境界に接して居ねばならぬ、否身をその境界に置いて居ねばならぬものだ。文壇とは何で・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・ある時はどこかの見せ物小屋の前に立って客を呼んでいることもあるが、またある時は何箇月立っても職業なしでいて、骨牌で人を騙す。どうかすると二三日くらい拘留せられていることもある。そんな時は女房が夜も昼も泣いている。拘留場で横着を出すと、真っ暗・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・そしてその間も時々家の者らは晩飯の後の話のついでに吉の職業を選び合った。が、話は一向にまとまらなかった。 或日、昼餉を終えると親は顎を撫でながら剃刀を取り出した。吉は湯を呑んでいた。「誰だ、この剃刀をぼろぼろにしたのは。」 父親・・・ 横光利一 「笑われた子」
出典:青空文庫