・・・稲見の母親はお栄と云って、二三年前の疫病に父母共世を去って以来、この茂作と姉弟二人、もう七十を越した祖母の手に育てられて来たのだそうです。ですから茂作が重病になると、稲見には曽祖母に当る、その切髪の隠居の心配と云うものは、一通りや二通りでは・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・「それから和尚はこの捨児に、勇之助と云う名をつけて、わが子のように育て始めました。が、何しろ御維新以来、女気のない寺ですから、育てると云ったにした所が、容易な事じゃありません。守りをするのから牛乳の世話まで、和尚自身が看経の暇には、面倒・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・ それは初雪のどんどん降りしきる夜の事だった、お前たち三人を生んで育ててくれた土地を後にして旅に上ったのは。忘れる事の出来ないいくつかの顔は、暗い停車場のプラットフォームから私たちに名残りを惜しんだ。陰鬱な津軽海峡の海の色も後ろになった・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・お姫様だって、お小間使だって、そんなことは構わねえけれど、船頭のおかみさんが、そんな弱虫じゃ不可ねえや、ああ、お浜ッ児はこうは育てたくないもんだ。」と、機械があって人形の腹の中で聞えるような、顔には似ない高慢さ。 女房は打笑みつつ、向直・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・その了簡でございますから、中年から後家になりながら、手一つで、まず……伜どのを立派に育てて、これを東京で学士先生にまで仕立てました。……そこで一頃は東京住居をしておりましたが、何でも一旦微禄した家を、故郷に打っ開けて、村中の面を見返すと申し・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 世に親というものがなくなったときに、われらを産んでわれらを育て、長年われらのために苦労してくれた親も、ついに死ぬ時がきて死んだ。われらはいま多くのわが子を育てるのに苦労してるが……と考えた時、世の中があまりありがたくなく思われだした。・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・お前の料簡は充分に判ったけれど、よく聞けおとよ……ここにこうして並んでる二人は、お前を産んでお前を今日まで育てた親だぞ。お前の料簡にすると両親は子を育ててもその子の夫定めには口出しができないと言うことになるが、そんな事は西洋にも天竺にもあん・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・嫁入のさきざきで子供を四人も生んだけれ共みんな女なんで出る段につれて来てその子達も親のやっかいになって育て居たけれどもたえまなくわずらうので薬代で世を渡るいしゃでさえもあいそをつかして見に来ないのでとうとう死ぬにまかせる外はない。弟の亀丸も・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・喜兵衛は納得して幸手へ行き、若後家の入夫となって先夫の子を守育て、傾き掛った身代を首尾よく盛返した。その家は今でも連綿として栄え、初期の議会に埼玉から多額納税者として貴族院議員に撰出された野口氏で、喜兵衛の位牌は今でもこの野口家に祀られてい・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・『平凡』では棄てられてクンクン鳴いていた犬の子を拾って育て上げたように書いてあるが、事実は役所の帰途に随いて来た野良犬をズルズルベッタリに飼犬としてしまったので、『平凡』にある通りな狐のような厭な犬であったから、家族は誰も嫌がって碌々関いつ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
出典:青空文庫