・・・ 懐しくも床さに、お縫は死骸の身に絡った殊にそれが肺結核の患者であったのを、心得ある看護婦でありながら、記念にと謂って強いて貰い受けて来て葛籠の底深く秘め置いたが、菊枝がかねて橘之助贔屓で、番附に記した名ばかり見ても顔色を変える騒を知っ・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・風邪で死んだというが肺結核だったらしい。こんな奇麗な前庭を持っている、そのうえ堂々とした筧の水溜りさえある立派な家の伜が、何故また新聞の配達夫というようなひどい労働へはいって行ったのだろう。なんと楽しげな生活がこの溪間にはあるではないか。森・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・それは肺結核で死んだ人間の百分率で、その統計によると肺結核で死んだ人間百人についてそのうちの九十人以上は極貧者、上流階級の人間はそのうちの一人にはまだ足りないという統計であった。勿論これは単に「肺結核によって死んだ人間」の統計で肺結核に対す・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・ 私が前後にただ一度盆踊りを見たのは今から二十年ほど前に南海のある漁村での事であった。肺結核でそこに転地しているある人を見舞いに行って一晩泊まった時がちょうど旧暦の盆の幾日かであった。蒸し暑い、蚊の多い、そしてどことなく魚臭い夕靄の上を・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・あの女は肺結核の子宮癌で、俺は御覧の通りのヨロケさ」「だから此女に淫売をさせて、お前達が皆で食ってるって云うのか」「此女に淫売をさせはしないよ。そんなことを為る奴もあるが、俺の方ではチャンと見張りしていて、そんな奴あ放り出してしまう・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 骨盤結核だと聞いた主婦は、もう大方は限りある命になってしまったお君にひどく同情したが、肺結核より骨盤結核の方がいいそうだなどと云うほど無智な父親を又なく哀れに思った。 お君だって、命にかかわるほどではないと、ああ云う女だから思って・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・そして、これらの悲劇は、当時のヨーロッパでさえも結核という病気については、ごくぼんやりした知識しかもたれていなかったことを語っている。肺結核にかかった主人公、女主人公たちは、こんにちの闘病者たちには信じられない非科学性で病気そのものにまけて・・・ 宮本百合子 「『健康会議』創作選評」
・・・当時既に肺結核を患っていた野呂は「警察における処遇に抗しかねて僅か二ヶ月に足らずして品川署で最後の呼吸をひきとった。数え年三十五歳であった。」 当時私の友達が偶然野呂さんのいた警察の留置場に入れられていた。そのひとは看護婦の心得があった・・・ 宮本百合子 「信義について」
出典:青空文庫