・・・そこへ茣蓙なんぞ敷きまして、その上に敷物を置き、胡坐なんぞ掻かないで正しく坐っているのが式です。故人成田屋が今の幸四郎、当時の染五郎を連れて釣に出た時、芸道舞台上では指図を仰いでも、勝手にしなせいと突放して教えてくれなかったくせに、舟では染・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・学士は楽しそうに両手や身体を動かして、胡坐にやったり、坐り直したりしながら、高瀬の方を見た。そして話の調子を変えて、「そう言えば、仏蘭西の言葉というものは妙なところに洒落を含んでますネ」 と言って、二三の連がった言葉を巧みに発音して・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ 此時座敷の隅を曲って右隣の方に、座蒲団が二つ程あいていた、その先の分の座蒲団の上へ、さっきの踊記者が来て胡坐をかいた。横にあった火鉢を正面に引き寄せて、両手で火鉢の縁を押えて、肩を怒らせた。そして顋を反らして斜に僕の方を見た。傍へ・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・勤め人の主は、晩酌の酔がまださめず、火鉢の側に胡座をかいて、にやにやしていた。「どうして未だなかなか。」「七十幾歳ですって?」「七十三になりますがね。もう耳が駄目でさ。亜鉛屋根にパラパラと来る雨の音が聞えなくなりましたからね、随・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・そう言って辰之助はどっちり胡坐を組んで、酒を呑んでいた。 そこへ女が現われた。おひろといって、道太も子供の時から知っている女であった。その家も少年のおり、父につれられて行きつけていた。道太の祖父の代に、古い町家であったその家へ、縁組があ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・(そは作者の知る処に非とにかく珍々先生は食事の膳につく前には必ず衣紋を正し角帯のゆるみを締直し、縁側に出て手を清めてから、折々窮屈そうに膝を崩す事はあっても、決して胡坐をかいたり毛脛を出したりする事はない。食事の時、仏蘭西人が極って Ser・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・と椽に端居して天下晴れて胡坐かけるが繰り返す。兼ねて覚えたる禅語にて即興なれば間に合わすつもりか。剛き髪を五分に刈りて髯貯えぬ丸顔を傾けて「描けども、描けども、夢なれば、描けども、成りがたし」と高らかに誦し了って、からからと笑いながら、室の・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・ 隣り座敷の小手と竹刀は双方ともおとなしくなって、向うの椽側では、六十余りの肥った爺さんが、丸い背を柱にもたして、胡坐のまま、毛抜きで顋の髯を一本一本に抜いている。髯の根をうんと抑えて、ぐいと抜くと、毛抜は下へ弾ね返り、顋は上へ反り返る・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・草の上に胡坐をかいていた。足には大きな藁沓を穿いていた。この時代の藁沓は深いものであった。立つと膝頭まで来た。その端の所は藁を少し編残して、房のように下げて、歩くとばらばら動くようにして、飾りとしていた。 大将は篝火で自分の顔を見て、死・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・西宮は床の間を背に胡座を組み、平田は窓を背にして膝も崩さずにいた。 西宮は三十二三歳で、むッくりと肉づいた愛嬌のある丸顔。結城紬の小袖に同じ羽織という打扮で、どことなく商人らしくも見える。 平田は私立学校の教員か、専門校の学生か、ま・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫