・・・ その後からは、彼の生まれた家の後にある、だだっ広い胡麻畑が、辷るように流れて来た。さびしい花が日の暮を待つように咲いている、真夏の胡麻畑である。何小二はその胡麻の中に立っている、自分や兄弟たちの姿を探して見た。が、そこに人らしいものの・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいたようにはっきり見えた。鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、啄みに来るのである。――もっとも今日は、刻限が遅いせいか、一羽も見えない。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目・・・ 芥川竜之介 「羅生門」
・・・瀬古 そうしておはぎはあんこのかい、きなこのかい、それとも胡麻……白状おし、どれをいくつ……沢本 瀬古やめないか、俺はほんとうに怒るぞ。飢じい時にそんな話をする奴が……ああ俺はもうだめだ。三日食わないんだ、三日。瀬古 沢本・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・来た処も、行く道も、露草は胡麻のように乾び、蓼の紅は蚯蚓が爛れたかと疑われる。 人の往来はバッタリない。 大空には、あたかもこの海の沖を通って、有磯海から親不知の浜を、五智の如来へ詣ずるという、泳ぐのに半身を波の上に顕して、列を造っ・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ ……ここに、信也氏のために、きつけの水を汲むべく、屋根の雪の天水桶を志して、環海ビルジングを上りつつある、つぶし餡のお妻が、さてもその後、黄粉か、胡麻か、いろが出来て、日光へ駆落ちした。およそ、獅子大じんに牡丹餅をくわせた姉さんなるも・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・道中の胡麻の灰などは難有い御代の事、それでなくっても、見込まれるような金子も持たずさ、足も達者で一日に八里や十里の道は、団子を噛って野々宮高砂というのだから、ついぞまあこれが可恐しいという目に逢った事はないんだよ。」「いえ、そんな事では・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
一 季節は冬至に間もなかった。堯の窓からは、地盤の低い家々の庭や門辺に立っている木々の葉が、一日ごと剥がれてゆく様が見えた。 ごんごん胡麻は老婆の蓬髪のようになってしまい、霜に美しく灼けた桜の最後の葉が・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ 年のころは四十ばかり、胡麻白頭の色の黒い頬のこけた面長な男である。 汗じみて色の変わった縮布の洋服を着て脚絆の紺もあせ草鞋もぼろぼろしている。都からの落人でなければこんな風をしてはいない。すなわち上田豊吉である。 二十年ぶりの・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ 頭髪も髯も胡麻白にて塵にまみれ、鼻の先のみ赤く、頬は土色せり。哀れいずくの誰ぞや、指してゆくさきはいずくぞ、行衛定めぬ旅なるかも。 げに寒き夜かな。独りごちし時、総身を心ありげに震いぬ。かくて温まりし掌もて心地よげに顔を摩りたり。・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・あれは君、実に馬鹿々々しい話サ……好い具合に人に胡麻化されて了いました……」 高瀬は先生の高輪時代をよく知っている。あの形勝の好い位置にあった、庭も広く果樹なども植えてあった、恐らく永住の目的で先生が建てた家を知っている。あの時代に居た・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
出典:青空文庫