・・・ 昼間ッからの霧雨がしとしと降りになって来たで、皆胴の間へもぐってな、そん時に千太どんが漕がしっけえ。 急に、おお寒い、おお寒い、風邪揚句だ不精しょう。誰ぞかわんなはらねえかって、艫からドンと飛下りただ。 船はぐらぐらとしただが・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 飛下りて、胴の間に膝をついて、白髪天頭を左右に振ったが、突然水中へ手を入れると、朦朧として白く、人の寝姿に水の懸ったのが、一揺静に揺れて、落着いて二三尺離れて流れる、途端に思うさま半身を乗出したので反対の側なる舷へざぶりと一波浴せたが・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・と同音に念ずる時、胴の間の辺に雷のごとき声ありて、「取舵!」 舳櫓の船子は海上鎮護の神の御声に気を奮い、やにわに艪をば立直して、曳々声を揚げて盪しければ、船は難無く風波を凌ぎて、今は我物なり、大権現の冥護はあるぞ、と船子はたちまち力・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・ 落ちつつ胴の間で、一刎、刎ねると、そのはずみに、船も動いた。――見事な魚である。「お嬢様!」「鯉、鯉、あら、鯉だ。」 と玉江が夢中で手を敲いた。 この大なる鯉が、尾鰭を曳いた、波の引返すのが棄てた棹を攫った。棹はひとり・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・これが筒の掃除をする役をつとめる。胴の間の側に立っているこれもスマートな風体の男が装填発火の作業をする役割である。 艫の方の横木に凭れて立っている和服にマント鳥打帽の若い男がいちばんの主人株らしい、たぶん今日のプログラムを書いてあるらし・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ まだ三※日がすまないので、漁船は皆浜に上って居て、胴の間に船じるしの「のぼり」と松が立ててあるその下で、「あさぎ地」に赤で、裾模様のある、あの漁師特有の「どてら」の様なブワッとしたものを着た、色のまっ黒な男が、「あみ」をつくろったり、・・・ 宮本百合子 「冬の海」
出典:青空文庫