・・・年中あくせくとして歳月の廻るに支配されている外に何らの能事も無い。次々と来る小災害のふせぎ、人を弔い己れを悲しむ消極的営みは年として絶ゆることは無い。水害又水害。そうして遂に今度の大水害にこうして苦闘している。 二人が相擁して死を語った・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・文学を職業たらしむるだけの報償を文人に与えずして三文文学だのチープ・リテレチュアだのと冷罵するのみを能事としていて如何して大文学の発現が望まれよう。文学として立派に職業たらしむるだけの報酬を文人に与え衣食に安心して其道に専らなるを得せしめ、・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・無論、芸術というは蟻が塔を積むように長い歳月を重ねて大きなものを作るばかりが能事ではない。が、この大根気、大努力も決して算籌外には置かれないので、単にこの点だけでも『八犬伝』を古往今来の大作として馬琴の雄偉なる大手筆を推讃せざるを得ない。・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ 一万九千円を握っただけで能事足れりとするような、けちな肚ならともかく、いくら何でも、そんな非合法な、かつ信用に関するような真似は、お前がやりたくても、おれがやらなかった。 そんな悪辣な手段ばかり弄さなかった証拠には、第一期の支店長・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・人によると裸体画さえかけば、画の能事は尽きたように吹聴している。私は画の方は心得がないから、何とも申しかねるが、あれは仏国の現代の風潮が東漸した結果ではないでしょうか。とにかく、画でも詩でも文でも構わない。感覚物として見たる人間がすでに感覚・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・腕さえあれば能事了れりというてもよい。工場では人間がいらないほどあっても、その人間は機械の一部分のようなものである。mechanical に働く、機械よりも巧妙に働く、腕が必要である。が、われわれの方は人間であるという事が大切な事で、社会上・・・ 夏目漱石 「無題」
・・・我輩とても敢て多弁を好むに非ざれども、唯徒に婦人の口を噤して能事終るとは思わず。在昔大名の奥に奉公する婦人などが、手紙も見事に書き弁舌も爽にして、然かも其起居挙動の野鄙ならざりしは人の知る所なり。参考の価ある可し。左れば今の女子を教うるに純・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・但し今の世間に女学と言えば、専ら古き和文を学び三十一文字の歌を詠じて能事終るとする者なきに非ず。古文古歌固より高尚にして妙味ある可しと雖も、之を弄ぶは唯是れ一種の行楽事にして、直に取て以て人生居家の実際に利用す可らず。之を喩えば音楽、茶の湯・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・未だに過去の労働運動をもって喋々するものがあるならば、それらは徒に事を構えて能事終れりとなす階級であって、かようなことはいわゆる革命家に任せておけばよいと考える。今や己の愚を悔るのみです」と結ばれている。そして竹内被告が書いたその上申書の冒・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
・・・隴西の李白、襄陽の杜甫が出て、天下の能事を尽した後に太原の白居易が踵いで起って、古今の人情を曲尽し、長恨歌や琵琶行は戸ごとに誦んぜられた。白居易の亡くなった宣宗の大中元年に、玄機はまだ五歳の女児であったが、ひどく怜悧で、白居易は勿論、それと・・・ 森鴎外 「魚玄機」
出典:青空文庫