・・・熱はずんずん下りながら、脈搏は反ってふえて来る。――と云うのがこの病の癖なんですから。」「なるほど、そう云うものですかな。こりゃ我々若いものも、伺って置いて好い事ですな。」 お絹の夫は腕組みをした手に、時々口髭をひっぱっていた。慎太・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・かすかに脈搏が感じられた。生きている。生きている。胸に手をいれてみた。温かった。なあんだ。ばかなやつ。生きていやがる。偉いぞ、偉いぞ。ずいぶん、いとしく思われた。あれくらいの分量で、まさか死ぬわけはない。ああ、あ。多少の幸福感を以て、かず枝・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・胎児の蝋細工模型でも、手術中に脈搏が絶えたりするのでも、少なくも感じの上では「死の舞踊」と同じ感じのもののように思われる。終局の場面でも、人生の航路に波が高くて、舳部に砕ける潮の飛沫の中にすべての未来がフェードアウトする。伴奏音楽も唱歌も、・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・短い時間には脈搏が尺度になり、もう少し長い時間の経過は腹の減り方や眠けの催しが知らせる。地下の坑道にいて日月星辰は見えなくてもこれでいくぶんの見当はわかるであろう。質量と力の計測にも必ずしも秤はいらない。われわれの筋肉の緊張感覚がそれに役立・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・ 医者が姫君を診察するとき、心臓の鼓動をかたどるチンパニの音、脈搏を擬する弦楽器のピッチカットもそんなにわざとらしくない。 モーリスの出現によって陰気なシャトーの空気の中に急に一道の明るい光のさし込むのを象徴するように、「ミミーの歌・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・この判断はやはり比較によるほかはないので、何かしら自分に最も手近な時間の見本あるいは尺度が自然に採用されるようになるであろう。脈搏や呼吸なども実際「秒」で測るに格好なものである。しかしそれよりも、もっと直接に自覚的な筋肉感覚に訴える週期的時・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・った鯛を活かす法などがあり、『織留』には懐炉灰の製法、鯛の焼物の速成法、雷除けの方法など、『胸算用』には日蝕で暦を験すこと、油の凍結を防ぐ法など、『桜陰比事』には地下水脈験出法、血液検査に関する記事、脈搏で罪人を検出する法、烏賊墨の証文、橙・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・ それは脳に徐々の出血があって、それがだんだんに蓄積して内圧を増す、それにつれて脈搏がはじめはだんだん昂進して百二十ほどに上がるが、それでも当人には自覚症状はない。それから脈搏がだんだん減少して行き、それが六十ぐらいに達したころに急に卒・・・ 寺田寅彦 「鎖骨」
・・・振り子のごとき週期的の運動に対する触感と自分の脈搏とを比較して振動の等時性というような事を考え時計を組み立てる事は可能であるかもしれぬ。しかし自分の手足の届くだけの狭い空間以外の世界に起こっている現象を自分の時計にたよって観測する事はよほど・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・そうして枕もとの時計のチクタクだけが高く響く、あるいは枕に押しつけた耳に響く脈搏を思わせる雑音を聞かせるのもいいかもしれない。しかし今のところでは発声器械の不完全なために生ずるいろいろな雑音が邪魔になるので、こういう技巧は当然失敗のほかない・・・ 寺田寅彦 「耳と目」
出典:青空文庫