・・・と圭さんが腕組をしながら云う。「全体豆腐屋の子がどうして、そんなになったもんだね」「豆腐屋の子がどんなになったのさ」「だって豆腐屋らしくないじゃないか」「豆腐屋だって、肴屋だって――なろうと思えば、何にでもなれるさ」「そ・・・ 夏目漱石 「二百十日」
第一夜 こんな夢を見た。 腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色は無・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・他の一人は腕組をしたまま立って砥の転るのを見ている。髯の中から顔が出ていてその半面をカンテラが照らす。照らされた部分が泥だらけの人参のような色に見える。「こう毎日のように舟から送って来ては、首斬り役も繁昌だのう」と髯がいう。「そうさ、斧を磨・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ すると又三郎の方でもどう云うつもりか大へんに早く丁度九時ころ、丘の横の方から何か非常に考え込んだような風をして鼠いろのマントをうしろへはねて腕組みをして二人の方へやって来たのでした。さあ、しっかり談判しなくちゃいけないと考えて耕一はど・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・するといつ来ていたのか、主人がたった一人腕組みをして土手に立っておりました。見ると沼ばたけには水がいっぱいで、オリザの株は葉をやっと出しているだけ、上にはぎらぎら石油が浮かんでいるのでした。主人が言いました。「いまおれ、この病気を蒸し殺・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・ 篤介は徐ろに帽子を耳の上まで引下げ、腕組みをし、重々しく転がって行った。悌が、横になると思うや否や気違いのようにその後を追っかけた。「ウワーイ」「ワーイ」「ウワーイ」 波は細かい砂を打ってその歓声に合わせるようさしては・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ 顔には一雫の紅味もなく、だまり返って腕組みをしたまま考えに沈んで居た。 お君は、額際まで夜着を引きあげた黒い中で、自分が出されて国に戻った時の事を、まざまざと想って居た。 狭い村中の評判になって、「お君はんは病気で戻ら・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・その二十三四の八百屋だという男は、ガンコに頭をたれたきり腕組みをして身動きもしない。 廊下の羽目からは鋭い隙間風が頸のうしろにあたって、背中がゾーゾーする。自分は羽織の衿を外套の襟のように立てて坐っている。昼になると、小使いがゴザの外の・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・こう言ったぎり権兵衛は腕組みをして顔をしかめた。「そうじゃ。どうなることか知れぬ。追腹はお許しの出た殉死とは違うなぞという奴があろうて」こう言ったのは四男の五太夫である。「それは目に見えておる。どういう目に逢うても」こう言いさして三・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・宇平は腕組をして何やら考え込む。只りよ一人平作の家族に気兼をしながら、甲斐々々しく立ち働いていたが、午頃になって細川の奥方の立退所が知れたので、すぐに見舞に往った。 晩にりよが帰ると九郎右衛門が云った。「おい。もう当分我々は家なんぞはい・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫