・・・ と多少、自信に似たものを得て、まえから腹案していた長い小説に取りかかった。 昨年、九月、甲州の御坂峠頂上の天下茶屋という茶店の二階を借りて、そこで少しずつ、その仕事をすすめて、どうやら百枚ちかくなって、読みかえしてみても、そんなに悪い・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・かねて腹案の、長い小説に、そろそろ取りかかる。 いやらしい男さ。このいやらしさを恐れてはならない。私は私自身のぶざまに花を咲かせ得る。かつて、排除と反抗は作家修行の第一歩であった。きびしい潔癖を有難いものに思った。完成と秩序をこそあこが・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・私には仕事の腹案が一つも無かったのです。出来れば一つラヴ・ロマンスそいつを書いてみたいという思いが心のどこかの隅に、幽かに疼いていたようです。文学とは、恋愛を書く事ではないのかしらと、このとしになって、ちょっと思い当った事もありましたので、・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・言いたい事が在ったのだけれど、それが、どうしても言えず、これが随筆でなく、小説だったら、いくらでも濶達に書けるのだが、と一箇月まえから腹案中の短篇小説を反芻してみて何やら楽しく、書くんだったら小説として、この現在の鬱屈の心情を吐露したい。そ・・・ 太宰治 「作家の像」
・・・の古い人名辞典を見つけだし、世界の文豪の略歴をしらべていた。バイロンは十八歳で処女詩集を出版している。シルレルもまた十八歳、「群盗」に筆を染めた。ダンテは九歳にして「新生」の腹案を得たのである。彼もまた。小学校のときからその文章をうたわれ、・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・に、明後日までに二十枚の短篇を送らなければならぬので、今夜これから仕事にとりかかろうと思っていたのだが、私は、いまは、まるで腑抜けになってしまっている。腹案は、すでにちゃんとできていて、末尾の言葉さえ準備していた。六年まえの初秋に、百円持っ・・・ 太宰治 「俗天使」
・・・彼は大喜びで私を迎えてくれて、表紙の画に就いての彼の腹案をさまざま私に語って聞かせた。どれも、これも結構でなかった。実に、陳腐な、甘ったるいもので、私はあっけにとられたが、しかし、いまの此の場合、画のうまいまずいは問題でない。私のこんどの小・・・ 太宰治 「東京だより」
・・・ 末弟は、れいに依って先陣を志願し、ゆるされて発端を説き起す事になったが、さて、何の腹案も無い。スランプなのかも知れない。ひき受けなければよかったと思った。一月一日、他の兄姉たちは、それぞれ、よそへ遊びに出てしまった。祖父は勿論、早朝か・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・中には内で十分腹案をして置いて、この席で「洒落」の広めをする人がある。それをも聞き漏さない。そんな時心から笑う。それで定連に可哀がられている。こう云う社会では「話を受ける」人物もいなくてはならないのである。 こんな風で何年か立った。・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 作者の頭の中にある腹案のようなものは、いかに詳細に組み立てられたつもりでも、それは文学ではない。またそれを口で話して一定の聴衆が聞くだけでもそれは文学ではない。象形文字であろうが、速記記号であろうが、ともかくも読める記号文字で、粘土板・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
出典:青空文庫