・・・然し終に其の為めに叱られるには至りませんでしたが、今でも其疵痕は膝に名残りを止めてあります。斯ういうように朝も晩もいろいろの事をさせられたのは、其頃下女も子守も居なかったのに、御父様は昼は家に居られないし、御母様は私の下に妹やら弟やらを抱え・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・一つは青梅線の鉄道によりて所沢に至り、それより飯能を過ぎ、白子より坂石に至るの路なり。これを我野通りと称えて、高麗より秩父に入るの路とす。次には川越より小川にかかり、安戸に至るの路なり。これを川越通りと称え、比企より秩父に入るの路とす。中仙・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・死に面しては貴賎・貧富も善悪・邪正も知愚・賢不肖も平等一如である、何者の知恵も遁がれ得ぬ、何者の威力も抗することは出来ぬ、若し如何にかして其を遁がれよう、其れに抗しように企つる者あらば、其は畢竟愚癡の至りに過ぎぬ。只だ是れ東海に不死の薬を求・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・因て急に鉛筆を執りファプリシュースの一段を草して之を懐にし既にワンセンヌに至りジデローを見るも猶お去気奪湧し血脈狡憤して自ら安んずること能わず。ジデロー一誦して善しと勧めて更に敷演して一論を完結せしむ。ルーソー其言に従う所謂非開化論なり。・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・益々御健勝の段慶賀の至りに存じます。さて今回本紙に左の題材にて貴下の御寄稿をお願い致したく御多忙中恐縮ながら左記条項お含みの上何卒御承引のほどお願い申上げます。一、締切は十二月十五日。一、分量は、四百字詰原稿十枚。一、題材は、春の幽霊につい・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ヤネワを経て、カナアリヤに至り、ここでまたフランスヤの海舶一隻ずつに乗りかえ、とうとうロクソンに着いた。ロクソンの海岸に船をつなぎ、ふたりは上陸した。トオマス・テトルノンは、すぐシロオテと別れてペッケンへむかったが、シロオテはひとりいのこっ・・・ 太宰治 「地球図」
・・・熱力学にエントロピーの観念の導入され、またエントロピーと公算との結合を見るに至りし消息もまたここに至って自ずから首肯さるべし。 安定や公算の意味に関する議論はしばらく措き、種々の可能法ある場合におのおのの公算を比較する時、吾人の経験はそ・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・今に至りてはそれも見あきてすたりぬ。また江戸は奥州のかたへ属して。気質も京人のようにはなし。唐画にも。和画にも似ぬ風はのみ込まぬ事にて。わが自身工夫したりと言いては。それは法がないと言いて。請け取らず。しかれども。画はその物の形を見て。その・・・ 寺田寅彦 「人の言葉――自分の言葉」
・・・これを例すれば植物園門前の細流を見てその源を巣鴨に探り、関口の滝を見ては遠きをいとわず中野を過ぎて井の頭の池に至り、また王子音無川の流の末をたずねては、根岸の藍染川から浅草の山谷堀まで歩みつづけたような事がある。しかしそれはいずれも三十前後・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ さて自然主義は遠慮なく事実そのままを人の前に暴露し、または描き出すため種々なる欠点を生ずるに至りましたが、これを救うは過去のローマン主義を復興するにあらずして、新ローマン主義ともいうべきものを興すにあろうかと思う。新ローマン主義という・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
出典:青空文庫