・・・それが長い航海の間に、いつとなく私と懇意になって、帰朝後も互に一週間とは訪問を絶やした事がないくらい、親しい仲になったのです。「三浦の親は何でも下谷あたりの大地主で、彼が仏蘭西へ渡ると同時に、二人とも前後して歿くなったとか云う事でしたか・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ただ胸ほどある据え風呂の中に恐る恐る立ったなり、白い三角帆を張った帆前船の処女航海をさせていたのである。そこへ客か何か来たのであろう、鶴よりも年上の女中が一人、湯気の立ちこめた硝子障子をあけると、石鹸だらけになっていた父へ旦那様何とかと声を・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・ ある時彼は二年級の生徒に、やはり航海のことを書いた、何とか云う小品を教えていた。それは恐るべき悪文だった。マストに風が唸ったり、ハッチへ浪が打ちこんだりしても、その浪なり風なりは少しも文字の上へ浮ばなかった。彼は生徒に訳読をさせながら・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・四 明くる日、露子は窓によって、赤い船はいまごろどこを航海していようかと思っていますと、ちょうどそこへ一羽のつばめが、どこからともなく飛んできました。 露子は、つばめに向かって、「おまえは、どこからきたの。」と聞・・・ 小川未明 「赤い船」
・・・その後、海にいって船乗りになった龍雄は、いま、どこを航海していることでしょう。もう、彼は、故郷には帰ってこなかったのです。 小川未明 「海へ」
・・・「よくこの荒波の上を航海して、この港近くまでやってきたものだ。なにか用があって、この港にきたものだろうか。」と、一人がいっていました。「ごらんなさい。あの船は止まっています。だれかあの船はどこの国の船か、お知りの方はありませんか・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
・・・海上たちまちに風逆し、浪あらく、航海は困難であった。船が三たびも覆りかけたのである。ロオマンをあとにして三年目のことであった。 宝永五年の夏のおわりごろ、大隅の国の屋久島から三里ばかり距てた海の上に、目なれぬ船の大きいのが一隻うかん・・・ 太宰治 「地球図」
・・・ B君の説明によると、この主婦の亡父は航海者であったそうである。両親がたまたま横浜に来ていた時に生れたのがこの娘であった。しかしまだ物心もつかないうちに本国に帰ってしまったので、日本の記憶と云っては夢ほどにも残っていないが、ただ生れた土・・・ 寺田寅彦 「異郷」
一 白熊の死 探険船シビリアコフ号の北氷洋航海中に撮影されたエピソード映画の中に、一頭の白熊を射殺し、その子を生け捕る光景が記録されている。 果てもない氷海を張りつめた流氷のモザイクの一片に乗っかって親・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・機関長室には顔の赤い人の好さそうなのが航海日誌と云いそうなものへ何か書いている。ここへ色の青い恐ろしく痩せた束髪の三十くらいの女をつれた例の生白いハイカラが来て機関長と挨拶をしていたが、女はとうとうこの室の寝台を占領した。何者だろう。黒紋付・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
出典:青空文庫