・・・私は紺絣の着物、それに袴をつけ、貼柾の安下駄をはいて船尾の甲板に立っていた。マントも着ていない。帽子も、かぶっていない。船は走っている。信濃川を下っているのだ。するする滑り、泳いでいる。川の岸に並び立っている倉庫は、つぎつぎに私を見送り、や・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・その前には麦藁帽の中年の男と、白地に赤い斑点のはいった更紗を着た女とが、もたれ合ってギターをかなでる。船尾に腰かけた若者はうつむいて一心にヴァイオリンをひいている。その前に水兵服の十四五歳の男の子がわき見をしながらこれもヴァイオリンの弓を動・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・その雲のすぐ上を一隻の飛行船が、船尾からまっ白な煙を噴いて、一つの峯から一つの峯へちょうど橋をかけるように飛びまわっていました。そのけむりは、時間がたつほどだんだん太くはっきりなってしずかに下の雲の海に落ちかぶさり、まもなく、いちめんの雲の・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・ 月が皎々とヴォルガとその岸の草原の上を照らしている深夜、皿洗いゴーリキイは船尾に坐りこんで、「涙が出そうになるまで夜の美観にうたれた。」汽船の後から長い綱にひかれて艀舟がついて来てる。それは赤く塗ってあり、甲板に鉄格子が出来ている。追・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫