・・・私も艱難に艱難の続いたような自分の若かった日のことを思い出して、これくらいのしたくは子供らのためにして置きたいと考えた。父としての私が生活の基調を働くことに置いたのはかなり旧いことであること、それはあの山の上へ行って七年も百姓の中に暮らして・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・その有様を見ているうちに、さすがに私も、この弟子たちと一緒に艱難を冒して布教に歩いて来た、その忍苦困窮の日々を思い出し、不覚にも、目がしらが熱くなって来ました。かくしてあの人は宮に入り、驢馬から降りて、何思ったか、縄を拾い之を振りまわし、宮・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・この艱難だけは、信頼できる。けれども、もともと絶望の行為である。おれは滅亡の民であるという思念一つが動かなかった。早く死にたい願望一つである。おのれひとりの死場所をうろうろ捜し求めて、狂奔していただけの話である。人のためになるどころか、自分・・・ 太宰治 「花燭」
・・・この故に我はキリストの為に、微弱、恥辱、艱難、迫害、苦難に遭うことを喜ぶ。そは我、よわき時に強ければなり。」と言ってみたが、まだ言い足りず、「われ汝らに強いられて愚かになれり、我は汝らに誉めらるべかりしなり。我は教うるに足らぬ者なれども、何・・・ 太宰治 「パウロの混乱」
・・・ 古いシナ人の言葉で「艱難汝を玉にす」といったような言い草があったようであるが、これは進化論以前のものである。植物でも少しいじめないと花実をつけないものが多いし、ぞうり虫パラメキウムなどでもあまり天下泰平だと分裂生殖が終息して死滅するが・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・今日は鼓腹撃壌とて安堵するも、たちまち国難に逢うて財政に窘めらるるときは、またたちまち艱難の民たるべし。いわんや、かの戦争の如き、その最中には実に修羅の苦界なれども、事、平和に帰すれば禍をまぬかるるのみならず、あるいは禍を転じて福となしたる・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・そもそも人生の気力を平均すれば至って弱き者にして、ややもすれば艱難に敵して敗北すること少なからざるの常なり。然るに内行を潔清に維持して俯仰慚ずる所なからんとするは、気力乏しき人にとりて随分一難事とも称すべきものなるが故に、西洋の男女独り木石・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ さて、この立国立政府の公道を行わんとするに当り、平時に在ては差したる艱難もなしといえども、時勢の変遷に従て国の盛衰なきを得ず。その衰勢に及んではとても自家の地歩を維持するに足らず、廃滅の数すでに明なりといえども、なお万一の僥倖を期して・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・けれども今日までたゆまずそこにくりひろげられ、発展されている社会主義的生活のよく艱難にたえてのびゆく芽立ちは、二十年前の現実の細部の中にまざまざと生きている。ソヴェトについてのこれらの物語は、古くて新しい。こんにちの歴史の下では、単にロシア・・・ 宮本百合子 「あとがき(『モスクワ印象記』)」
・・・もしキュリー夫妻の艱難と堅忍と努力と成功の物語がここまでで終っていたとしたら、この人々の生涯は、成程立派でもあり業蹟もあがっているが、謂わば平凡な一つの立志伝にすぎなかったと思われます。 成功し業蹟をたてた人の真の価値は寧世間にその価値・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人の命の焔」
出典:青空文庫