・・・去れどこの世にての逢いがたきに比ぶれば、未来に逢うのかえって易きかとも思う。罌粟散るを憂しとのみ眺むべからず、散ればこそまた咲く夏もあり。エレーンは食を断った。 衰えは春野焼く火と小さき胸を侵かして、愁は衣に堪えぬ玉骨を寸々に削る。今ま・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・陽炎や名も知らぬ虫の白き飛ぶ橋なくて日暮れんとする春の水罌粟の花まがきすべくもあらぬかなのごときは古文より来たるもの、春の水背戸に田つくらんとぞ思ふ白蓮を剪らんとぞ思ふ僧のさま この「とぞ思ふ」と・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・見よ、彼は自らの芥子の種子ほどの智識を以てかの無上土を測ろうとする、その論を更に今私は繰り返すだも恥ずる処であるが実証の為にこれを指摘するならば彼は斯う云っている。クリスト教国に生れて仏教を信ずる所以はどうしても仏教が深遠だからであると。ク・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・低い丘のようになった暗い樫の樹かげをぬけ、丘の一番高いところに立って眺めると、一面の罌粟畑で、色様々の大輪の花が太陽の下で燃え立ち咲き乱れていた。それは、女学生になって初めての夏の眺めで、翌年から、そこに新校舎の建築がはじめられた。 女・・・ 宮本百合子 「女の学校」
・・・一年生として入学した年の夏、その丘の下いっぱいが色とりどりの罌粟の花盛りで、美しさに恍惚としたことがあった。それ以来、そこは私をそっと誘いよせる場所になって、よくそこへも本をもって行ってよんだ。落葉の匂い、しっとりとした土の匂い、日のぬくも・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・このごろの上下の衆のもどらるゝ 去来腰に杖さす宿の気ちがひ 芭蕉二の尼に近衛の花のさかりきく 野水蝶はむぐらにとばかり鼻かむ 芭蕉芥子あまの小坊交りに打むれて 荷・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・一つ罌粟の実になって、私の掌に乗ってもらえたら思い残すところはありません」 天狗は馬鹿にしきった顔で、「ヨシ来た。俺は何んにでもなってやる」と小ッちゃい罌粟粒になって百姓の掌に乗った。そこで百姓は自分が人間であったことを喜びなが・・・ 宮本百合子 「ブルジョア作家のファッショ化に就て」
出典:青空文庫