・・・ 想っただけでもいやな言葉だけど、華やかな結婚、そんなものを夢みているわけではなかった。貴公子や騎士の出現、ここにこうして書くだけでもぞっとする。けれど、私だって世間並みに一人の娘、矢張り何かが訪れて来そうな、思いも掛けぬことが起りそう・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・……彼らの美酒佳肴の華やかな宴席を想像しながら。が土井は間もなく引返してきた。「どうか許してくれたまえ」と、私は彼に嘆願した。しかし彼は聴かなかった。結局私は彼に引張られて、下宿を出た。 会場は山の手の賑やかな通りからちょっとはいった、・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・「ええ、歩いてゆきましょう」華やかに母は言った。「でも私達がどんなにちいさく見えるかというのは誰が見るの」 腹立たしくなって私は声を荒らげた。「ああ、そんなことはどうだっていいんです」 そして私達は街道のそこから溪の方へおり・・・ 梶井基次郎 「闇の書」
・・・何か華やかな美しい音楽の快速調の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている。――実際あ・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・ 会堂に着くと、入口の所へ毛布を丸めて投げ出して、木村の後ろについて内に入ると、まず花やかな煌々としたランプの光が堂にみなぎっているのに気を取られました。これは一里の間、暗い山の手の道をたどって来たからでしょう。次にふわりとした暖かい空・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・の者は外にいで、海にのぞむ窓はことごとく開かれ、ともし火は風にそよげども水面は油のごとく、笛を吹く者あり、歌う者あり、三味線の音につれて笑いどよめく声は水に臨める青楼より起こるなど、いかにも楽しそうな花やかなありさまであったことで、しかし同・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・攻勢の華やかな時代にプロレタリア文学があって、敗北の闇黒時代に、それぞれちゃんと生きている労働者の生活を書かないのは、おかしな話だ。むしろ、こういう苦難の時代の労働者や農民の生活をかくことにこそ意義があるのではないか。 これも、しかし東・・・ 黒島伝治 「田舎から東京を見る」
・・・ それだのに、やつは、町の者のように華やかな生活をしてみたいと思っているからおかしい。野心も持っとるし、小心でもある。こいつくらい他人のキタないところをいつもかつもさぐっている奴は少ないであろう。自分のキタないところはまるで棚にあげて人・・・ 黒島伝治 「自画像」
・・・その娘はもう二十年も昔から、存命えていることやら死んでしもうたことやらも知れぬものになってしまう、わずかに残っていたこの太郎坊も土に帰ってしまう。花やかで美しかった、暖かで燃え立つようだった若い時のすべての物の紀念といえば、ただこの薄禿頭、・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・ 学士は華やかな大学時代を想い起したように言って、その骨を挫かれた指で熱球を受け損じた時の真似までして見せた。 三人が連立って湯場を出、桜井先生の別荘の方へ上って行った時は、先生は皆なを待受顔に窓に近い庭石に水をそそいでいた。先生は・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
出典:青空文庫