・・・その一群の花弁は、のろくなったり、早くなったり、けれども停滞せず、狡猾に身軽くするする流れてゆく。万助橋を過ぎ、もう、ここは井の頭公園の裏である。私は、なおも流れに沿うて、一心不乱に歩きつづける。この辺で、むかし松本訓導という優しい先生が、・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・東京は、もう梅は、さかりを過ぎて、花弁も汚くしなび掛けて居ります。桜の蕾は、大豆くらいの大きさにふくらんで居ります。もう十日くらい経てば、花が開くのではないかと存じます。きょうは、三月三十日です。南京に、新政府の成立する日であります。私は、・・・ 太宰治 「三月三十日」
・・・これでもか、これでもか、生垣へだてたる立葵の二株、おたがい、高い、高い、ときそって伸びて、伸びて、ひょろひょろ、いじけた花の二、三輪、あかき色の華美を誇りし昔わすれ顔、黒くしなびた花弁の皺もかなしく、「九天たかき神の園生、われは草鞋のままに・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ メフィストフェレスは雪のように降りしきる薔薇の花弁に胸を頬を掌を焼きこがされて往生したと書かれてある。 留置場で五六日を過して、或る日の真昼、俺はその留置場の窓から脊のびして外を覗くと、中庭は小春の日ざしを一杯に受けて、窓・・・ 太宰治 「葉」
・・・たとえば、勅使接待の能楽を舞台背景と番組書だけで見せたり、切腹の場を辞世の歌をかいた色紙に落ちる一片の桜の花弁で代表させたりするのは多少月並みではあるがともかくも日本人らしい象徴的な取り扱い方で、あくどい芝居を救うために有効であると思われた・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・という映画にも黒白の駝鳥の羽団扇を持った踊り子が花弁の形に並んだのを高空から撮影したのがあり、同じような趣向は他にもいくらもあったようであるが、今度の映画ではさらにいろいろの新趣向を提供して観客の興味を新たにしようと努力した跡がうかがわれる・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・ 日によってはまた、浅間の頂からちょうど牡丹の花弁のような雲の花冠が咲き出ていることもある。それからまた、晴れた日に頂上が全く見えないことがあるかと思うと、雨の降るのに頂上までありあり見えることもある。この天然の大仕掛けの気象観測機械を・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・もしも花が緑にならなければならない道理のある場合ならば、花弁の中に自然に葉緑ができてしかるべきではあるまいか。そうでないところを見ると、紅の花はやはり紅でなければならない理由があるように思う。 古来宣伝法の猛烈なものの中でも猛烈であった・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・が、懐紙を口に銜て、例の艶かしい立膝ながらに手水鉢の柄杓から水を汲んで手先を洗っていると、その傍に置いた寝屋の雪洞の光は、この流派の常として極端に陰影の度を誇張した区劃の中に夜の小雨のいと蕭条に海棠の花弁を散す小庭の風情を見せている等は、誰・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・暁の露しげき百合の花弁をひたふるに吸える心地である。ランスロットは後をも見ずして石階を馳け降りる。 やがて三たび馬の嘶く音がして中庭の石の上に堅き蹄が鳴るとき、ギニヴィアは高殿を下りて、騎士の出づべき門の真上なる窓に倚りて、かの人の出る・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫