・・・決して、たっぷりと開花し、芳香と花粉とを存分空中に振りまいて、実り過ぎて軟くなり、甘美すぎてヴィタミンも失ったその実が墜ちたという工合ではない。謂わば、条件のよくない風土に移植され、これ迄伸び切ったこともない枝々に、辛くも実らしいものをつけ・・・ 宮本百合子 「よもの眺め」
・・・が、さて捨てるとなると、その濡れたように生き生きとした花粉の精悍な色のために、捨て処がなくなった。彼は小猫を下げるように百合の花束をさげたまま、うろうろ廊下を廻って空虚の看護婦部屋を覗いてみた。壁に挾まれた柩のような部屋の中にはしどけた帯や・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・あの美しい幹も葉も、五月の風に吹かれて飛ぶ緑の花粉も、実はこのような苦労の上にのみ可能なのであった。 この時以来私は松の樹のみならず、あらゆる植物に心から親しみを感ずるようになった。彼らは我々とともに生きているのである。それは誰でも知っ・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
・・・新芽の先についた花から黄色の花粉のこぼれるのが見えたと思ううちに、やがて新芽の新しい針葉がのびて来て、古い葉と層々相重なった、いかにも松の新緑らしい形になる。なるほど土佐絵の画家はこれを捕えたのであったかと気づかざるを得ないような形である。・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫