・・・どうかその疼くだけでも留ったらとそう思うんだけどね……自分も苦しいだろうが、どうも見ていて傍がたまらないのさ」とお光は美しい眉根を寄せてしみじみ言ったが、「もっともね、あの病気は命にどうこうという心配がないそうだから、遅かれ早かれ、いずれ直・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・であるから、四隣はシーンとしているので、益々物凄い、私は最早苦しさと、恐ろしさとに堪えかねて、跳起きようとしたが、躯一躰が嘛痺れたようになって、起きる力も出ない、丁度十五分ばかりの間というものは、この苦しい切無い思をつづけて、やがて吻という・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・ところが、ますますばかなことには、苦しいその夜が明けて、その家を出る時、私は文子に大阪までの旅費をうっかり貰ってしまったのです。東京の土地にうろうろされてはわてが困ります、だから早く大阪へ帰ってくれという意味の旅費だったのでしょう。むろん突・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・何という厭な、苦しい病気だろう! 晩になってようよう発作のおさまったところで、私は少しばかりの粥を喰べた。梅雨前の雨が、同じ調子で、降り続いていた。 私は起きて、押入れの中から、私の書いたものの載っている古雑誌を引張りだして、私の分を切・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・何だか身体の具合が平常と違ってきて熱の出る時間も変り、痰も出ず、その上何処となく息苦しいと言いますから、早速かかりつけの医師を迎えました。その時、医師の言われるには、これは心臓嚢炎といって、心臓の外部の嚢に故障が出来たのですから、一週間も氷・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・また「街では自分は苦しい」と思った。 川向うの道を徒歩や車が通っていた。川添の公設市場。タールの樽が積んである小屋。空地では家を建てるのか人びとが働いていた。 川上からは時どき風が吹いて来た。カサコソと彼の坐っている前を、皺にな・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・と今来た男は捨てばちに言って、投げるように腰掛けに身をおろして、両手で額を押え、苦しい咳をした。年ごろは三十前後である。「そう気を落とすものじゃアない、しっかりなさい」と、この店の亭主が言った。それぎりでたれもなんとも言わない、心のうち・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・一つは苦しい家計が原因していた。彼女は買ってやることになっても、なお一応、物置きの中を探して、健吉の使い古しの緒が残っていないか確めた。 川添いの小さい部落の子供達は、堂の前に集った。それぞれ新しい独楽に新しい緒を巻いて廻して、二ツをこ・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
・・・と、いうように何も明白に順序立てて自然に感じられるわけでは無いが、何かしら物苦しい淋しい不安なものが自分に逼って来るのを妻は感じた。それは、いつもの通りに、古代の人のような帽子――というよりは冠を脱ぎ、天神様のような服を着換えさせる間にも、・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・調べが終った時、「真夏の留置場は苦しいだろう。」 ないことに、検事がそんな調子でお世辞を云った。「ウ、ウン、元気さ。」 俺はニベもなく云いかえした。――が、フト、ズロースの事に気付いて俺は思わずクスリと笑った。然し、その時の・・・ 小林多喜二 「独房」
出典:青空文庫