・・・然らざれば、論理といっても、昔、英国心理学者のいったように観念聯合の作用に過ぎない。 カントの批評哲学の的となったのは、右の如き主語的実在の独断であった。直覚の形式を離れて推論式的に実在を考えることが、超越的弁証法の虚偽に陥ることである・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・ 我国では明治の初年は如何にあったか知らないが、大体二十年頃以前は英国哲学の影響を受け、二十年頃以後はドイツ哲学の影響を受けて、今日に至ったといい得るであろう。私はドイツ哲学の優秀を疑うものではないが、右にいったように、フランス哲学・・・ 西田幾多郎 「フランス哲学についての感想」
・・・お前はまだ若い。英国を歩いていた時、ロシアを歩いていた時分は大分疲れていたように見えたが、海を渡って来てからは見違えたようだ。「ここ」には赤ん坊が無数にいる。安価な搾取材料は群れている。 サア! 巨人よ! 轢殺車を曵いて通れ! ここ・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・ 数年前英国にて下院を改革し、下等の人民までも議院の事に参与するの法を定めたりしに、その時にあたりて識者の考に、今後議院の権は役夫・職人の手に帰し、あるいは害あるべしといい、あるいは益あるべしといい、議論喋々たりしが、その成跡を見れば、・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・今日西洋において仏国盛なり英国富むというといえども、その富のよってきたるところは何処にあるや。竜動に巍々たる大廈石室なり、その市街に来往する肥馬軽車なり、公園の壮麗、寺院の宏大、これを作りてこれを維持するその費用の一部分は、遠く野蛮未開の国・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・その上流の方から、南のイギリス海岸のまん中で、みんなの一生けん命掘り取っているのを見ますと、こんどはそこは英国でなく、イタリヤのポンペイの火山灰の中のように思われるのでした。殊に四、五人の女たちが、けばけばしい色の着物を着て、向うを歩いてい・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・知ってるだろう。英国のサア、アーキバルド、ゲーキーの名をつけた湾なんだ。ごらんそら、氷河ね、氷河が海にはいるねえ、あれで少しずつ押されてだんだん喰み出してるんだよ、そしてとうとう氷河から断れて氷山にならあね。あっちは? あっちが英国さ、ここ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・京漢鉄道総工会の成立大会を武力解散させた軍閥呉佩孚に対して中国労働者がジェネストを起し、英国の労働運動に一つのエポックをつくった。今日三百万の党員をもち中国人口の三五パーセントを解放地区に包括しつつある中共は、一九二三年に第三次党大会をもち・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・Jura へ行ったのも、英国で地学上の用務を嘱托せられて行ったのだ。亜米利加のタッカアなんぞはプルウドンの翻訳をしている位のもので、大した人物ではない。」 木村が暫く黙っていると、犬塚が云った。「クロポトキンは別品の娘を持っているという・・・ 森鴎外 「食堂」
・・・つまり現在露国で露国風に起こっている状態が、英国では英国風に、仏国では仏国風に、ドイツではドイツ風に、必ず起こるに相違ない。そうして一般民衆は現戦争の罪が敵味方共通のある種の資本家やユンケル連にあることを正直に認め、人類の光栄のためにこの種・・・ 和辻哲郎 「世界の変革と芸術」
出典:青空文庫