・・・ 親父はその晩、一合の酒も飲まないで、燈火の赤黒い、火屋の亀裂に紙を貼った、笠の煤けた洋燈の下に、膳を引いた跡を、直ぐ長火鉢の向うの細工場に立ちもせず、袖に継のあたった、黒のごろの半襟の破れた、千草色の半纏の片手を懐に、膝を立てて、それ・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ 綿を厚く入れた薄汚れた棒縞の広袖を着て、日に向けて背を円くしていたが、なりの低い事。草色の股引を穿いて藁草履で立っている、顔が荷車の上あたり、顔といえば顔だが、成程鼻といえば鼻が。」「でございましょうね、旦那様。」「高いんじゃ・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・だれかからもらったキュラソーのびんの形と色を愛しながら、これは杉の葉のにおいをつけた酒だよと言って飲まされたことを思い出すのである。草色の羊羹が好きであり、レストーランへいっしょに行くと、青豆のスープはあるかと聞くのが常であった。「吾輩・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・そして大きな褄楊枝で草色をした牛皮を食べていると、お湯の加減がいいというので、湯殿へ入っていった。すると親類の一人から電話がかかって、辰之助が出てゆくと、今避難者が四百ばかり著くから、その中に道太の家族がいるかもしれないというのであった。道・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・唇はほほえみ、つぶった双眼の縁は、溶きもしない鮮やかな草色に近い青緑色で、くっきりの西洋絵具を塗ったように隈どられて居る。 見まい、見まいとしても顔の見える恐ろしさに、私は激しい叫び声を立てて一散に逃げようとした。狭いところを抜けようと・・・ 宮本百合子 「或日」
・・・ あの歩きつきで、細かい紺絣の袷の着物と羽織とをきて、帽子のないいが栗頭に、前年の冬はいていたひろ子の手縫いの草色足袋をはき、外食券食堂で買った飯を新聞紙にぶちまけたのをたべたべ、重吉は一人で網走から東京まで帰って来た。同じ東北本線を、・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫