・・・残らず、一度は神仏の目の前で燃え輝いたのでございましょう、……中には、口にするのも憚る、荒神も少くはありません。 ばかりでない。果ては、その中から、別に、綺麗な絵の蝋燭を一挺抜くと、それへ火を移して、銀簪の耳に透す。まずどうするとお思い・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・げっそりと痩せて青ざめた顔に、落ちつきのない表情を泛べ乍ら、「あのう、一寸おたずねしますが、荒神口はこの駅でしょうか」「はあ――?」「ここは荒神口でしょうか」「いや、清荒神です、ここは」 新吉は鈍い電燈に照らされた駅名を・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・それは秋日の下で一種の強い匂いをたてていた。荒神橋の方に遠心乾燥器が草原に転っていた。そのあたりで測量の巻尺が光っていた。 川水は荒神橋の下手で簾のようになって落ちている。夏草の茂った中洲の彼方で、浅瀬は輝きながらサラサラ鳴っていた。鶺・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・ところが先方にも荒神様が付いていない訳ではなくて、チャント隠し印のあることには気が付かなかったのである。こういうイキサツだから何時まで経っても売れない。そこで正賓は召使の男を遣って、雲林を取返して来いといい付けた。隠し印のことは無論男に呑込・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・それがまた一ト通のことなら宜いが、なかなかどうしてどうして少なくないので、先ず此処で数えて見れば、腰高が大神宮様へ二つ、お仏器が荒神様へ一つ、鬼子母神様と摩利支天様とへ各一つ宛、御祖師様へ五つ、家廟へは日によって違うが、それだけは毎日欠かさ・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・家をしては覚えず眉を顰めしめ、警察官をしては坐に嫌疑の眼を鋭くさせるような国貞振りの年増盛りが、まめまめしく台所に働いている姿は勝手口の破れた水障子、引窓の綱、七輪、水瓶、竈、その傍の煤けた柱に貼った荒神様のお札なぞ、一体に汚らしく乱雑に見・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・この女は初め下向いて眼を塞いで居たが、その眼を少しずつ明けながらその顔を少しずつあげると、段々すさまじい人相になって、遂に髪の逆立った三宝荒神と変ってしもうた。荒神様が消えると耶蘇が出て来た。これは十字架上の耶蘇だと見えて首をうなだれて眼を・・・ 正岡子規 「ランプの影」
出典:青空文庫