・・・おまえが帰ると、この画室の中は荒野同様だ。僕たちは寄ってたかっておまえを讃美して夜を更かすんだよ。もっともこのごろは、あまり夜更かしをすると、なおのこと腹がすくんで、少し控え気味にはしているがね。とも子 なんて讃美するの。ともの奴はおか・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・ 台所を、どどんがたがた、鼠が荒野と駈廻る。 と祖母が軒先から引返して、番傘を持って出直す時、「あのう、台所の燈を消しといてくらっしゃいよ、の。」 で、ガタリと門の戸がしまった。 コトコトと下駄の音して、何処まで行くぞ、・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ まず溝を穿ちて水を注ぎ、ヒースと称する荒野の植物を駆逐し、これに代うるに馬鈴薯ならびに牧草をもってするのであります。このことはさほどの困難ではありませんでした。しかし難中の難事は荒地に樹を植ゆることでありました、このことについてダルガ・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・そして、そのうちに手足は凍えて、腹は空いて、自分は、このだれも人の通らない荒野の中で倒れて死んでしまわなければならぬだろうと考えました。 ちょうど、そのときであります。真っ黒な雲を破って、青くさえた月がちょっと顔を出しました。そして、月・・・ 小川未明 「宝石商」
・・・しかしてその国は荒野と変わりつ。 路傍の梅 少女あり、友が宅にて梅の実をたべしにあまりにうまかりしかば、そのたねを持ち帰り、わが家の垣根に埋めおきたり。少女は旅人が立ち寄る小さき茶屋の娘なりき、年経てその家倒れ、・・・ 国木田独歩 「詩想」
・・・彼の不屈の精神はこの磽こうかくの荒野にあっても、なお法華経の行者、祖国の護持者としての使命とほこりとを失わなかった。 佐渡の配所にあること二年半にして、文永十一年三月日蓮は許されて鎌倉に帰った。しかるに翌四月八日に平ノ左衛門尉に対面した・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ひどい訥弁で懸命に説いて廻ってかえって皆に迷惑がられ、それでも、叱ったり、なだめたり、怒鳴ったりして、やっとの事で皆を引き連れ、エジプト脱出に成功したが、それから四十年間荒野にさまよい、脱出してモーゼについて来た百万の同胞は、モーゼに感謝す・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・私は、東北の生れであるが、咫尺を弁ぜぬ吹雪の荒野を、まさか絶景とは言わぬ。人間に無関心な自然の精神、自然の宗教、そのようなものが、美しい風景にもやはり絶対に必要である、と思っているだけである。 富士を、白扇さかしまなど形容して、まるでお・・・ 太宰治 「富士に就いて」
・・・藪を飛び越え森を突き抜け一直線に湖水を渡り、狼が吠え、烏が叫ぶ荒野を一目散、背後に、しゅっしゅっと花火の燃えて走るような音が聞えました。「振り向いては、いけません。魔法使いのお婆さんが追い駆けているのです。」と鹿は走りながら教えました。・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・しかしこういう流動に、さらに貨物車の影がレールの上を走るところなどを重出して、結局何かしら莫大な運動量を持ったある物が加速的にその運動量を増加しつつ、あの茫漠たるアジア大陸の荒野の上を次第に南に向かって進んでいるという感じがかなりまで強く打・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫