・・・それに萎えた揉烏帽子をかけたのが、この頃評判の高い鳥羽僧正の絵巻の中の人物を見るようである。「私も一つ、日参でもして見ようか。こう、うだつが上らなくちゃ、やりきれない。」「御冗談で。」「なに、これで善い運が授かるとなれば、私だっ・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・ 真中に際立って、袖も襟も萎えたように懸っているのは、斧、琴、菊を中形に染めた、朝顔の秋のあわれ花も白地の浴衣である。 昨夜船で助けた際、菊枝は袷の上へこの浴衣を着て、その上に、菊五郎格子の件の帯上を結んでいたので。 謂は何かこ・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ たちまち、口紅のこぼれたように、小さな紅茸を、私が見つけて、それさえ嬉しくって取ろうとするのを、遮って留めながら、浪路が松の根に気も萎えた、袖褄をついて坐った時、あせった頬は汗ばんで、その頸脚のみ、たださしのべて、討たるるように白かっ・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ 二 そう云って、綻びて、袂の尖でやっと繋がる、ぐたりと下へ襲ねた、どくどく重そうな白絣の浴衣の溢出す、汚れて萎えた綿入のだらけた袖口へ、右の手を、手首を曲げて、肩を落して突込んだのは、賽銭を探ったらしい。 ・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ ……そのお千には、もう疾に、羽織もなく、下着もなく、膚ただ白く縞の小袖の萎えたるのみ。 宗吉は、跣足で、めそめそ泣きながら後を追った。 目も心も真暗で、町も処も覚えない。颯と一条の冷い風が、電燈の細い光に桜を誘った時である。・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・お蔦 (取ると斉手切れかい、失礼な、(と擲たんとして、腕の萎えたる状あの、先生が下すったんですか。早瀬 まだ借金も残っていよう、当座の小使いにもするように、とお心づけ下すったんだ。お蔦 こうした時の気が乱れて、勿体ない事をしよう・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・子障子越しにながめられたり、ほんとうに許嫁どうしが会うているというほのぼのした気持を味わうのにそう苦心は要らなかったほど、思いがけなく心愉しかったが、いざお勘定という時になって、そんな気持はいっぺんに萎えてしまった。仲居さんが差し出したお勘・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・ 過度の書物依頼主義にむしばまれる時は創造的本能をにぶくし、判断力や批判力がラディカルでなくなり、すべての事態にイニシアチブをとって反応する主我的指導性が萎えて行く傾向がある。 知識の真の源泉は生そのものの直接の体験と観察から生まれ・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・けれどもそこは小児の思慮も足らなければ意地も弱いので、食物を用意しなかったため絶頂までの半分も行かぬ中に腹は減って来る気は萎えて来る、路はもとより人跡絶えているところを大概の「勘」で歩くのであるから、忍耐に忍耐しきれなくなって怖くもなって来・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ 四肢萎えて、起きあがることさえ容易でなかった。渾身のちからで、起き直り、木の幹に結びつけた兵古帯をほどいて首からはずし、水たまりの中にあぐらをかいて、あたりをそっと見廻した。かず枝の姿は、無かった。 這いまわって、かず枝を捜した。・・・ 太宰治 「姥捨」
出典:青空文庫