・・・金ぞくのようにかたい竹のふしは、ときどきせんをはねかえしてからすべりすると、雨だれのような汗がボト、ボトとまえに落ちる。―― せまい熊本市で、三吉も「喰いつめた」一人であった。新聞社でストライキに加わって解雇され、発電所で「労働問題演説・・・ 徳永直 「白い道」
・・・澁い枳の実は霜の降る度に甘くなって、軈て四十雀のような果敢ない足に踏まれても落ちるようになる。幼いものは竹藪へつけこんでは落ち葉に交って居る不格好な実を拾っては噛むのである。太十も疱瘡に罹るまでは毎日懐へ入れた枳の実を噛んで居た。其頃はすべ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・見れば美しき衣の片袖は惜気もなく断たれて、残るは鞘の上にふわりと落ちる。途端に裸ながらの手燭は、風に打たれて颯と消えた。外は片破月の空に更けたり。 右手に捧ぐる袖の光をしるべに、暗きをすりぬけてエレーンはわが部屋を出る。右に折れると兄の・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ ――あれが落ちるほど揺ったかなあ。 医者は感に堪えた風に言って、足の手当をした。 医者が足の手当をし始めると、私は何だか大変淋しくなった。心細くなった。 朝は起床と言って起こされる。 と怒鳴る。 ――ないもの・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・雪は絶間なく渦を巻いて地の上と水の上とに落ちる。その落ちるのが余り密なので、遠い所の街灯の火が蔽われて見えない。 爺いさんが背後を振り返った時には、一本腕はもう晩食をしまっていた。一本腕はナイフと瓶とを隠しにしまった。そしてやっと人づき・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・其方もある夏の夕まぐれ、黄金色に輝く空気の中に、木の葉の一片が閃き落ちるのを見た時に、わしの戦ぎを感じた事があるであろう。凡そ感情の暖かい潮流が其方の心に漲って、其方が大世界の不思議をふと我物と悟った時、其方の土塊から出来ている体が顫えた時・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・寐棺の中に自分が仰向けになっておるとして考えて見玉え、棺はゴリゴリゴリドンと下に落ちる。施主が一鍬入れたのであろう、土の塊りが一つ二つ自分の顔の上の所へ落ちて来たような音がする。其のあとはドタバタドタバタと土は自分の上に落ちて来る。またたく・・・ 正岡子規 「死後」
・・・「ぼくなんか落ちるとちゅうで目がまわらないだろうか。」一つの実がいいました。「よく目をつぶっていけばいいさ。」も一つが答えました。「そうだ。わすれていた。ぼく水とうに水をつめておくんだった。」「ぼくはね、水とうのほかにはっか・・・ 宮沢賢治 「いちょうの実」
・・・春らしい柔かい雪が細い別荘の裏通りを埋め、母衣に触った竹の枝からトトトト雪が俥の通った後へ落ちる。陽子はさし当り入用な机、籐椅子、電球など買った。四辺が暗くなりかけに、借部屋に帰った。上り端の四畳に、夜具包が駅から着いたままころがしてある。・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・子猿が母の腋を潜り、股を潜り、背に乗り、頭に乗って取ろうとしても、芋は大抵母猿の手に落ちる。それでも四つに一つ、五つに一つは子猿の口にも入る。 母猿は争いはする。しかし芋がたまさか子猿の口に這入っても子猿を窘めはしない。本能は存外醜悪で・・・ 森鴎外 「牛鍋」
出典:青空文庫