・・・…… 落ち合う時間は二時である。腕時計の針もいつのまにかちょうど二時を示していた。きょうも十分と待たせるはずはない。――中村はこう考えながら、爬虫類の標本を眺めて行った。しかし生憎彼の心は少しも喜びに躍っていない。むしろ何か義務に対する・・・ 芥川竜之介 「早春」
・・・それはちょうど三年以前、千枝子が二度までも私と、中央停車場に落ち合うべき密会の約を破った上、永久に貞淑な妻でありたいと云う、簡単な手紙をよこした訳が、今夜始めてわかったからであった。…………・・・ 芥川竜之介 「妙な話」
・・・困った事には今も話した通り、僕は明日またあの石河岸で、お敏と落合う約束がしてあるだろう。ところが今夜の出合いがあの婆に見つかったとなると、恐らく明日はお敏を手放して、出さないだろうと思うんだ。だからよしんばあの婆の爪の下から、お敏を救い出す・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
さて、明治の御代もいや栄えて、あの時分はおもしろかったなどと、学校時代の事を語り合う事のできる紳士がたくさんできました。 落ち合うごとに、いろいろの話が出ます。何度となく繰り返されます。繰り返しても繰り返しても飽くを知・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・毎時言い合せたように皆なの落合うところだ。高瀬は子安を待合せて、一諸に塾の方へ歩いた。 線路側の柵について先へ歩いて行く広岡学士の後姿も見えた。「広岡先生が行くナ」と高瀬が言った。 子安も歩き歩き、「なんでもあの先生が上田から通・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・永田は遠からず帰朝すると言うし、高瀬は山の中から出て来たし、いよいよ原も家を挙げて出京するとなれば、連中は過ぐる十年間の辛酸を土産話にして、再び東京に落合うこととなる。不取敢、相川は椅子を離れた。高く薄暗い灰色の壁に添うて、用事ありげな人々・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・まず、東京駅に落ち合う約束をする。」「その前夜に、旅に出ようとそれだけ言うと、ええ、とうなずく。午後の二時に東京駅で待っているよ、と言うと、また、ええとうなずく。それだけの約束だね。」「待て、待て。それは、なんだい。女流作家かね?」・・・ 太宰治 「雌に就いて」
・・・の生活、人間としての生活の問題と一歩一歩闘って行って出た広場には、あちらの小路から工場の方から次第次第に欲求を追って進んで来た人々、更にそっちの耕地から農民としての生きる道を押して来た人々がおのずから落合うというようなところがある。こういう・・・ 宮本百合子 「今日の文学に求められているヒューマニズム」
・・・しかし伊織は番町に住んでいたので、上役とは詰所で落ち合うのみであった。 石川が大番頭になった年の翌年の春、伊織の叔母婿で、やはり大番を勤めている山中藤右衛門と云うのが、丁度三十歳になる伊織に妻を世話をした。それは山中の妻の親戚に、戸田淡・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・客が三人までは座布団を敷かせることが出来るが、四人落ち合うと、畳んだ毛布の上に据わらせられる。今日なぞはとうとう毛布に乗ったお客があった。 客は大抵帷子に袴を穿いて、薄羽織を被て来る。薄羽織は勿論、袴というものも石田なぞは持っていないの・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫