・・・ そのうちに、葬儀の始まる時間が近くなってきた。「そろそろ受付へ行こうじゃないか」――気の早い赤木君が、新聞をほうり出しながら、「行」の所へ独特のアクセントをつけて言う。そこでみんな、ぞろぞろ、休所を出て、入口の両側にある受付へ分れ分れ・・・ 芥川竜之介 「葬儀記」
・・・ 賀古翁は鴎外とは竹馬の友で、葬儀の時に委員長となった特別の間柄だから格別だが、なるほど十二時を打ってからノソノソやって来られたのに数回邂逅った。 こんな塩梅で、その頃鴎外の処へ出掛けたのは大抵九時から十時、帰るのは早くて一時、随分・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・それほど病気が重くなってるとは知らなかったので、最一度尋ねるつもりでツイそれなりに最後の皮肉を訊かずにしまったのを今なお残惜しく思っている。葬儀は遺言だそうで営まなかったが、緑雨の一番古い友達の野崎左文と一番新らしい親友の馬場孤蝶との肝煎で・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・そうして母は死に、阿倍野の葬儀場へ送ったその足で、私は追われるように里子に遣られた。俄かやもめで、それもいたし方ないとはいうものの、ミルクで育たぬわけでもなし、いくら何でも初七日もすまぬうちの里預けは急いだ、やはり父親のあらぬ疑いがせきたて・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 身寄りの者もないらしく、また、むかしの旦那だと名乗って出る物好きもなく葬儀万端、二三の三味線の弟子と長屋の人たちの手を借りて、おれがしてやった。長屋の住人の筈のお前は、その時既にどこやら姿をくらましていた。 ひとにきけば、湯崎より・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・種吉がかねがね駕籠かき人足に雇われていた葬儀屋で、身内のものだとて無料で葬儀万端を引き受けてくれて、かなり盛大に葬式が出来た。おまけにお辰がいつの間にはいっていたのか、こっそり郵便局の簡易養老保険に一円掛けではいっていたので五百円の保険料が・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 飯田町の狭い路地から貧しい葬儀が出た日の翌日の朝の事である。新宿赤羽間の鉄道線路に一人の轢死者が見つかった。 轢死者は線路のそばに置かれたまま薦がかけてあるが、頭の一部と足の先だけは出ていた。手が一本ない・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・ 妻子の葬儀には母も妹も来た。そして人々も当然と思い、二人も当然らしく挙動った。自分は母を見ても妹を見ても、普通の会葬者を見るのと何の変もなかった。 三百円を受けた時は嬉しくもなく難有くもなく又厭とも思わず。その中百円を葬儀の経費に・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・子として、親爺の霊を弔わなければならない。子として、親爺の葬儀をしなければならない。その時にでも、スパイは、小うるさく、僕の背後につき纒って、墓場にまでやって来るだろう。 西山も、帰るとスパイにつき纒われる仲間の一人だ。その西山が胸・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
・・・その葬儀の華やかさは、五年のちまで町内の人たちの語り草になりました。再び、妻はめとらなかったのであります。 というのが、私の小説の全貌なのでありますが、もとより之は、HERBERT EULENBERG 氏の原作の、許しがたい冒涜でありま・・・ 太宰治 「女の決闘」
出典:青空文庫