・・・塊まらぬ間に吹かるるときには三つの煙りが三つの輪を描いて、黒塗に蒔絵を散らした筒の周囲を遶る。あるものは緩く、あるものは疾く遶る。またある時は輪さえ描く隙なきに乱れてしまう。「荼毘だ、荼毘だ」と丸顔の男は急に焼場の光景を思い出す。「蚊の世界・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・火の粉を梨地に点じた蒔絵の、瞬時の断間もなく或は消え或は輝きて、動いて行く円の内部は一点として活きて動かぬ箇所はない。――「占めた」とシーワルドは手を拍って雀躍する。 黒烟りを吐き出して、吐き尽したる後は、太き火かえんが棒となって、熱を・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ 翌々日は日曜日であった。蒔絵を観るため、彼等は高台寺へ行った。蒔絵のある建物が裏山の中腹にあって、下から登龍の階と云うのを渡って行くようになっていた。遠洲の案とかで、登ってゆくときには龍の白い腹だけ、降りには龍の背を黒く踏んで来る・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・ かなり細っかい美くしさ――私はわざとここにかなり細っかいと云う言葉が必要だと思うから入れる――に於て我国古来の刺繍、蒔絵などは成功して居ると思う。 一目見ては人の目を引かないものの中にひそむ美は、私がこの上もなく大切にも思い又嬉し・・・ 宮本百合子 「繊細な美の観賞と云う事について」
・・・近づいて画面を見ると、どれも蒔絵のように塗られていて、私はこういうのをも尚描くということが出来るのであろうか、塗上げ術の問題はあるとしても描法の問題はここには消散してしまっている、そのように感じたのであった。 日本画家たちの日常生活をも・・・ 宮本百合子 「帝展を観ての感想」
出典:青空文庫