・・・雲母のような波を刻んでいる東京湾、いろいろな旗を翻した蒸汽船、往来を歩いて行く西洋の男女の姿、それから洋館の空に枝をのばしている、広重めいた松の立木――そこには取材と手法とに共通した、一種の和洋折衷が、明治初期の芸術に特有な、美しい調和を示・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・階下の輪転機のまわり出す度にちょうど小蒸汽の船室のようにがたがた身震いをする二階である。まだ一高の生徒だった僕は寄宿舎の晩飯をすませた後、度たびこの二階へ遊びに行った。すると彼は硝子窓の下に人一倍細い頸を曲げながら、いつもトランプの運だめし・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・それをお前帽子に喰着けた金ぴかの手前、芝居をしやがって……え、芝居をしやがったんたが飛んで行って、其の頭蓋骨を破ったので、迸る血烟と共に、彼は階子を逆落しにもんどりを打って小蒸汽の錨の下に落ちて、横腹に大負傷をしたのである。薄地セルの華奢な・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・例えば大木の根を一気に抜き取る蒸気抜根機が、その成効力の余りに偉大な為めに、使い処がなくて、さびたまゝ捨てゝあるのを旅行の途次に見たこともある。少女の何人かを逸早く米国に送ってそれを北海道の開拓者の内助者たらしめようとしたこともある。当時米・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
・・・……振返ると、白浜一面、早や乾いた蒸気の裡に、透なく打った細い杭と見るばかり、幾百条とも知れない、おなじような蛇が、おなじような状して、おなじように、揃って一尺ほどずつ、砂の中から鎌首を擡げて、一斉に空を仰いだのであった。その畝る時、歯か、・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・闇の中を青い火を点した蒸気船が通る。彼方にいた、赤い小さな燈火が、いつか、目の前に来ている。 淡路島の一角に建てられた燈台の白い光りが、長く波の上に映っている。船の通るたびに、其の白い光りは見えなくなる。『あれ、また船が通ります』と・・・ 小川未明 「舞子より須磨へ」
・・・そこから向地通いの小蒸汽に乗るのだ。そよそよと西風の吹く日で、ここからは海は見えぬが、外は少しは浪があろうと待合せの乗客が話していた。空はところどころ曇って、日がバッと照るかと思うときゅうにまた影げる。水ぎわには昼でも淡く水蒸気が見えるが、・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・そりゃ三文渡しの船頭も船乗りなりゃ川蒸気の石炭焚きも船乗りだが、そのかわりまた汽船の船長だって軍艦の士官だってやっぱり船乗りじゃねえか。金さんの話で見りゃなかなか大したものだ、いわば世界中の海を跨にかけた男らしい為事で、端月給を取って上役に・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ と、そわそわ出掛けて行ったきり、宿へ戻って来なかった。 蒸気船の汽笛の音をきいた途端に、逐電しやがったとわかり、薄情にもほどがあると、すぐあとを追うて、たたきのめしてくれようと、一旦は起ち上がったが、まさか婆さんを置き去りにするわ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・厚く雪を被った百姓家の茅屋根からは蒸気が濛々とあがっていた。生まれたばかりの仔雲! 深い青空に鮮かに白く、それは美しい運動を起こしていた。彼はそれを見ていた。「どっこいしょ、どっこいしょ」 お早うを言いにあがって来た信子は「まあ・・・ 梶井基次郎 「雪後」
出典:青空文庫