・・・その草もない薄闇の路に、銃身を並べた一隊の兵が、白襷ばかり仄かせながら、静かに靴を鳴らして行くのは、悲壮な光景に違いなかった。現に指揮官のM大尉なぞは、この隊の先頭に立った時から、別人のように口数の少い、沈んだ顔色をしているのだった。が、兵・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・が、おれのまわりには、いつか薄闇が立ちこめている。誰か、――その誰かは見えない手に、そっと胸の小刀を抜いた。同時におれの口の中には、もう一度血潮が溢れて来る。おれはそれぎり永久に、中有の闇へ沈んでしまった。………・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・ 夏の初、月色街に満つる夜の十時ごろ、カラコロと鼻緒のゆるそうな吾妻下駄の音高く、芝琴平社の後のお濠ばたを十八ばかりの少女、赤坂の方から物案じそうに首をうなだれて来る。 薄闇い狭いぬけろじの車止の横木を俛って、彼方へ出ると、琴平社の・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・ 安岡は、自分自身にさえ気取られないように、木柵に沿うて、グラウンドの塵一本さえ、その薄闇の中に見失うまいとするようにして進んだ。 やや柵の曲がった辺へ来ると、グラウンドではなく、街道を風のように飛んでゆく姿が見えた。 その風の・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・ やがてそろそろ薄闇の這いよって来た砲台の裏からまわって、傍のいら草の中に錆びた空罐などの散っている急な小径を下って来た。すると、今朝の霜でゆるんだまま夜にとざされようとしている赤土に、まことに瀟洒な女靴の踵のあとがくっきりと一つ印され・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・子供の時分外でどんなに夢中で遊んでいても、薄闇が這い出す頃になると、泣きたい程家が、家の暖かさが恋しくなった。あの心持、正直な稚い夜の恐怖が一寸の間、進化した筈の、慾ばりな大人の魂も無自覚のうちに掴むかと思う。それ故、貨物自動車が尨大な角ば・・・ 宮本百合子 「粗末な花束」
・・・文学は一見隆盛であって、しかもその実質は低められもしあるいは亀裂が入り、あるいは一新の前の薄闇におかれている。よかれあしかれ、男の作家のもつ社会性のひろさ、敏感さ、積極性がそういう文学上の混乱を示しているのであるが、婦人作家たちの多くは、そ・・・ 宮本百合子 「婦人の文化的な創造力」
出典:青空文庫