・・・万葉集の中にうたわれている大らかな明るい、生命の躍動している自然的な自然の描写が、藤原氏隆盛時代の耽美的描写にうつり、足利時代に到って、仏教の浸潤につれ、戦乱つづきの世相不安につれ、次第に自然は厭世的遁世の対象と化した。あわれはかなき人の世・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・ 万葉集の時代が過ぎて文学のうえで婦人が活躍した藤原時代が来る。王朝時代の文学は、主として婦人によってつくられたということがいわれている。栄華物語、源氏物語、枕草子、更級日記その他いろいろの女の文学が女性によってかかれた。なかでも紫式部・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・という作品をどういう風に紹介したかといえば、あの作品は日本の十一世紀頃に書かれたものであって、その作者である紫式部という女性は、藤原家出身の中宮が、政策のために自分の周囲に文学の才能ある婦人を召しかかえた、その宮女の一人であったという現実を・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」
・・・ 今日の電力不足は旱天が大半の理由でありましてと、勝逓相の答弁が始められると、議場にどっと笑いがおこり、傍聴席も何となし口元をほころばした。 藤原銀次郎という名に対して、あの演壇に立っての柔らかな声、物腰とは、会社の会議じゃないのだ・・・ 宮本百合子 「待呆け議会風景」
・・・知られている通り彼女は中宮定子の官女として宮廷生活をしていたのであったが、この中宮の生涯はあわれの深いところがあって、はじめの頃は華やかなあけくれで内外に大きな勢力もおよんでいたが、後には権力ある外戚藤原氏が奉った他の女人が当時の事情として・・・ 宮本百合子 「山の彼方は」
・・・ 道長の出世の原因 藤原為業は明晰な、而して皮肉な頭の男であったらしい。望月の欠くるところなきを我世と観じた道長の栄華のそもそもの原因を斯う云って居る。 二十三で権中納言、二十七で従二位中宮太夫となった道長は、三・・・ 宮本百合子 「余録(一九二四年より)」
・・・ 藤原時代は、日本の文化史の中で、最も女性の文化が昂揚した時代といわれている。世界に誇る日本の古典文学といえば、それがたった一つしかないようにいつもとり出されている源氏物語にしろ、枕草子、栄華物語、その他総てこの時代の婦人たちの作品であ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・ 秀吉がキリシタン追放令を発布してから六年後の文禄二年に、当時五十二歳であった家康は、藤原惺窩を呼んで『貞観政要』の講義をきいた。五十八歳の秀吉が征明の計画で手を焼いているのを静かにながめながら、家康は、馬上をもって天下を治め得ざるゆえ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫