・・・だから、彼のこの虚栄心は、金無垢の煙管を愛用する事によって、満足させられると同じように、その煙管を惜しげもなく、他人にくれてやる事によって、更によく満足させられる訳ではあるまいか。たまたまそれを河内山にやる際に、幾分外部の事情に、強いられた・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・「この女は自分の夫に対して虚栄心を持っている。」――己はこう考えた。「あるいはこれも、己の憐憫を買いたくないと云う反抗心の現れかも知れない。」――己はまたこうも考えた。そうしてそれと共に、この嘘を暴露させてやりたい気が、刻々に強く己へ働きか・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・ 四二 虚栄心 ある冬に近い日の暮れ、僕は元町通りを歩きながら、突然往来の人々が全然僕を顧みないのを感じた。同時にまた妙に寂しさを感じた。しかし格別「今に見ろ」という勇気の起こることは感じなかった。薄い藍色に澄み渡っ・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・この小説の主人公は虚栄心や病的傾向や名誉心の入り交った、複雑な性格の持ち主だった。しかも彼の一生の悲喜劇は多少の修正を加えさえすれば、僕の一生のカリカテュアだった。殊に彼の悲喜劇の中に運命の冷笑を感じるのは次第に僕を無気味にし出した。僕は一・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・あらゆる偽善の虚栄心をくつがえして、心の底からおとよさんうれしの思いがむくむく頭を上げる。どう腹の中でこねかえしても、つまりおとよさんは憎くない。いよいよおとよさんがおれを思ってるに違いなけりゃ、どうせばよいか。まさかぬしある女を……おとよ・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・こういう女に多少の学問と独立出来る職業を与えたら、虚栄に憧がれる今の女学校出の奥さんよりは遥に勝った立派な女が出来る、」と意気込んで咄した。 この結論に達するまでの理路は極めて井然としていたが、ツマリ泥水稼業のものが素人よりは勝っている・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・しかるに、その子供に人生の希望と高貴な感激を与えて、真に愛育することを忘れて、つまらぬ虚栄心のために、むずかしいと評判されるような学校へ入れようとしたり、子供の力量や、健康も考えずに、顔さえ見れば、勉強! 勉強! というが如きは、却って、其・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
・・・なぜなら、人生のための芸術でなくて、事実虚名のためであり、虚栄のためであるからです。しからざれば、自己享楽の所産なりと言うを憚らぬからです。「人生を語る」という言葉は詩的に、センチメンタルに聞えるかも知れないが、民衆の利福を祈念するため・・・ 小川未明 「自分を鞭打つ感激より」
・・・ もし、人々がすべてかくのごとく、自から耕し、自から織り、それによって生活すべく信条づけられていたなら、そして、虚栄から、虚飾から、また不正の欲望から生ずる一切のものを排除することができたなら、彼等は、搾取されることもなく、また、搾取す・・・ 小川未明 「単純化は唯一の武器だ」
・・・ 彼の都会に於て、虚栄の町に於て、もしくは富豪の家庭にて、潜在する如き幾多の虚偽と罪悪に満ちた生活には、外面は城壁で守られ、また剣で講られる必要があっても、内部に何の反撥する力というものが存在しない。一蹴すれば、蟻の塔のようにもろく壊れ・・・ 小川未明 「民衆芸術の精神」
出典:青空文庫