・・・と見た処、壁にかかったのは、蝙蝠傘と箒ばかり。お妻が手拍子、口三味線。 若旦那がいい声で、夢が、浮世か、うき世が夢か、夢ちょう里に住みながら、住めば住むなる世の中に、よしあしびきの大和路や、壺坂の片ほとり土佐町に、沢市という座頭・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・第一、順と見えて、六十を越えたろう、白髪のお媼さんが下足を預るのに、二人分に、洋杖と蝙蝠傘を添えて、これが無料で、蝦蟇口を捻った一樹の心づけに、手も触れない。 この世話方の、おん袴に対しても、――――軽少過ぎる。卓子を並べて、謡本少々と・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・あれ見な、やっぱりそれ、手があって、足で立って、着物も羽織もぞろりとお召しで、おんなじような蝙蝠傘で立ってるところは、憚りながらこれ人間の女だ。しかも女の新造だ。女の新造に違いはないが、今拝んだのと較べて、どうだい。まるでもって、くすぶって・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・なお窺うよしして、花と葉の茂夫人 人形使 (猿轡のまま蝙蝠傘を横に、縦に十文字に人形を背負い、うしろ手に人形の竹を持ちたる手を、その縄にて縛められつつ出づ。肩を落し、首を垂れ、屠所に赴くもののごとし。しかも酔える足どり、よたよたとし・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・ さて、亭主の口と盆の上へ、若干かお鳥目をはずんで、小宮山は紺飛白の単衣、白縮緬の兵児帯、麦藁帽子、脚絆、草鞋という扮装、荷物を振分にして肩に掛け、既に片影が出来ておりますから、蝙蝠傘は畳んで提げながら、茶店を発つて、従是小川温泉道と書・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・四人はとある漁船のかげに一休みしたのであるが、思わぬ空の変わりようにてにわかに雨となった。四人は蝙蝠傘二本をよすがに船底に小さくなってしばらく雨やどりをする。 ふたりの子どもを間にして予とお光さんはどうしても他人とはみえぬまで接近した。・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・ おとよはしょうことなしにお千代のあとについて無意識に、まあ綺麗なことまあ綺麗なことといいつつ、撥を合せている。蝙蝠傘を斜に肩にして二人は遊んでるのか歩いてるのか判らぬように歩いてる。おとよはもうもどかしくてならないのだ。 おとよは・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ 銭占屋は二三日と私に約束して行ったが、遅れて七日めに、向地から渡ってきた蝙蝠傘の張替屋に托して二円送てくれた。向地は思のほかの不景気なところから、銭占屋は今十五里も先の何やら町へ行っていて、そこから托されてきたとのことであった。 ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・と、お上さんのお光はいつの間にか帰って背後に立っている。「精が出るね」「へへ、ちっともお帰んなすったのを知らねえで……外はお寒うがしょう?」「何だね! この暖かいのに」と蝙蝠傘を畳む。「え、そりゃお天気ですからね」と為さんこ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・余念もなかった主人が驚いてこちらを向く暇もなく、広い土間を三歩ばかりに大股に歩いて、主人の鼻先に突ったッた男は年ごろ三十にはまだ二ツ三ツ足らざるべく、洋服、脚絆、草鞋の旅装で鳥打ち帽をかぶり、右の手に蝙蝠傘を携え、左に小さな革包を持ってそれ・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
出典:青空文庫