・・・階級といい習慣といい社会道徳という、我が作れる縄に縛られ、我が作れる狭き獄室に惰眠を貪る徒輩は、ここにおいて狼狽し、奮激し、あらん限りの手段をもって、血眼になって、我が勇敢なる侵略者を迫害する。かくて人生は永劫の戦場である。個人が社会と戦い・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・妻は、また、これを全く知らないでいたのは迂濶だと言われるのが嫌さに、まずもって僕の父に内通し、その上、血眼になってかけずりまわっていたかして、電車道を歩いていた時、子を抱いたまま、すんでのことで引き倒されかけた。 その上の男の子が、どこ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・彼は、うれしさに胸がおどって、それを拾おうと駈け出しました。すぐ目の前に落ちていたと思った宝石のくび飾りは、いくらいっても距離がありました。彼は、血眼になって、ただそれを拾おうと雪の中を道のついていないところもかまわずに駈け出したのでありま・・・ 小川未明 「宝石商」
・・・魚たちは血眼になって走りまわりました。そして、やっとしまいにのこぎり魚が鍵のたばを口にくわえて出て来ました。鍵は海の底の岩と岩との間へ落ちこんでいたのでした。のこぎり魚はそこへ無理やりに首を突っこんで引き出したものですから、すっかりあごをい・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・眉の間に深い皺をよせ、血眼になって行手を見つめて駆けっているさまは餓えた熊鷹が小雀を追うようだと黒田が評した事がある。休日などにはよく縁側の日向で赤ん坊をすかしている。上衣を脱いでシャツばかりの胸に子供をシッカリ抱いて、おかしな声を出しなが・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・みんな慾の深そうな顔をした婆さんや爺さんが血眼になって古着の山から目ぼしいのを握み出しては蚤取眼で検査している。気に入ったのはまるでしがみついたように小脇に抱いて誰かに掠奪されるのを恐れているようである。これも地獄変相絵巻の一場面である。そ・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・多数の人の血眼になっていきせき追っかけるいわゆる先端的前線などは、てんでかまわないような顔をしてのんきそうに骨董いじりをしているように見えていた。そうして思いもかけぬ間道を先くぐりして突然前哨の面前に顔を突き出して笑っているようなところがあ・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・天下の秀才を何かないか何かないかと血眼にさせて遊ばせておくのは不経済の話で、一日遊ばせておけば一日の損である。二日遊ばせておけば二日の損である。ことに昨今のように米価の高い時はなおさらの損である。一日も早く職業を与えれば、父兄も安心するし当・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・この間うち私は血眼だし、ほかのひとに書きつけを書いて貰ったら、もしや私が病気ではないかと心配なさりはしまいかと思ったりして本まで少しおくれました。間をおかず昨日と一昨々日送り出しましたが、どうかしら。 ともかくこの手紙は何か遑しく半端で・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 算術では、血眼になっても程度が知れている。国語で一つの間違いでもすまい、というのが私の心算であった。父が、綺麗な西洋紙の、大きな帳面をくれたことがある。私はそれに赤や紺や紫や、買い集められただけの色インクで、びっしりと書取りをして行っ・・・ 宮本百合子 「入学試験前後」
出典:青空文庫