・・・それが即ち文芸上の色彩派の行き方である。筋とか、時間的の変遷とか云うものを描くのではなくて、そこに自分が外界から受け得た刺戟とか、胸の中の苦悶とかを象徴的に映出するのである。それには無論強烈な色彩を以てしなければならないと思う。 丁度、・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・総て自分のような男は皆な同じ行き方をするので、運命といえば運命。蛙が何時までも蛙であると同じ意味の運命。別に不思議はない。 良心とかいう者が次第に頭を擡げて来た。そして何時も身に着けている鍵が気になって堪らなくなって来た。 殊に自分・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ この犬を描くのと同じ行き方で正真正銘の人間を描くことがどうしてできないのか。それができたらそれこそほんとうの芸術としての漫画映画の新天地が開けるであろうと思われる。現在の怪奇を基調とした漫画は少しねらいがはずれているのではないか。実在・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・しかしこういう行き方では決してドビュシーの音楽のようなものはできないであろう。それはやはりフランス人に待つほかはない。「七月十四日」のすぐあとでこの「人生の歌」を見たためにこういう対照を特に強く感じたのかもしれない。映画の内容のモンター・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ 末広君の研究の行き方や筋道を見ると色々な優れた特徴がある。一口に云うと昔の一般の工学者に較べて、すべてが物理学者風であったように見える。卒業後物理学科の聴講に出たり、ベルリン留学中かの地の若い学生の中に交じってブラジウス教授受持の物理・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・れて行かれた医者がその家で聞いたという琵琶の音や、ある特定の日に早朝の街道に聞こえた人通りの声などを手掛りとして、先ず作業仮説を立て、次にそのヴェリフィケーションを遂行して、結局真相をつき止めるという行き方は、科学の方法と一脈の相通ずる所が・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・うした引っかき傷の蝋形を取ったのとそれらしい相手の折片の表面にある鋲の頭の断面と合わしてみたり、また鋲の頭にかすかについているペンキを虫めがねで吟味したり、ここいらはすっかりシャーロック・ホールムスの行き方であるが、ただ科学者のY教授が小説・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・伝来の家や田畑を売り払って株式に手を出すと同じ行き方である。 新思想の本元の西洋へ行って見ると、かえって日本人の目にばかばかしく見えるような大昔の習俗や行事がそのままに行なわれているのはむしろ不思議である。 これはどちらがいいか、議・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・格式に拘泥しない自由な行き方の誹諧であるのか、機知頓才を弄するのが滑稽であるのか、あるいは有心無心の無心がそうであるのか、なかなか容易には捕捉し難いように見える。しかしもし大胆なる想像を許さるれば、古の連歌俳諧に遊んだ人々には、誹諧の声だけ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・そのものを主役として前面へ押し出され「従来主人公だった人間が却って添景にまで後退するという行き方の小説も試みられてもいいように思う。歴史小説に於てより高い観点が要求されるとき制約のなかで最も留意すべきものはこの時間的及び空間的なものではある・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
出典:青空文庫