・・・ 内廊下を突抜け、外の縁側を右へ曲り、行止りから左へ三尺許りの渡板を渡って、庭の片隅な離れの座敷へくる。深夜では何も判らんけれど、昨年一昨年と二度ともここへ置かれたのだから、来て見ると何となくなつかしい。平生は戸も明けずに置くのか、空気・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・しかしこの釜和原から川上へ上って行くと下釜口、釜川、上釜口というところがあるが、それで行止りになってしまうのだから、それから先はもうどこへも行きようは無いので、川を渡って東岸に出たところが、やはり川下へ下るか、川浦という村から無理に東の方へ・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・自己の生を追うた行止りはどうなるのだ。ことに困るのは、知識で納得の行く自己道徳というものが、実はどうしてもまだ崇高荘厳というような仰ぎ見られる感情を私の心に催起しない。陳い習慣の抜殻かも知れないが、普通道徳を盲目的に追うている間は、時として・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・電車で街を縦走して、とある辻から山腹の方へ広い坂道を上がって行くと、行き止まりに新築の大神宮の社がある。子守が遊んでいる。港内の眺めが美しい。この山の頂上へ登られたら更に一層の眺めであろうと思うが地図を見ても頂上への道がない。なるほどここは・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・科学の進歩の行き止りにならないのは全くそういう態度の賜物である。科学は決して自然をありのままに記載するものではない。自然の顔には教科書の文句は書いてない。自然を如何に見て如何に表現すべきかという事は全く自由ではないがしかも必ずしも絶対に単義・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・ わたくしは人に道をきく煩いもなく、構内の水溜りをまたぎまたぎ灯の下をくぐると、家と亜鉛の羽目とに挟まれた三尺幅くらいの路地で、右手はすぐ行止りであるが、左手の方に行くこと十歩ならずして、幅一、二間もあろうかと思われる溝にかけた橋の上に・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・ 彼等の先へ、二人連れの男がぶらぶら行くのでなほ子はそう云ったのであったが、少し行くと其方は行き止りであった。「おやおや、怪しい道案内だな。――誰か訊く人はないか――訊いて見よう」「大丈夫よ、じゃあ此方」 一つの共同風呂の窓・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
出典:青空文庫