・・・そう思って、新吉は世相の表面に泛んだ現象を、出来るだけ多く作品の中に投げ込んでみたのだが、多角形の辺を増せば円になるというのは、幾何学の夢に過ぎないのではなかろうか。しかし、円い玉子も切りようで四角いということもあろう。が、その切りようが新・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・翌日から自分は平時の通り授業もし改築事務も執り、表面は以前と少しも変らなかった、母からもまた何とも言って来ず、自分も母に手紙で迫る事すら放棄して了い、一日一日と無事に過ぎゆいた。 然し自分は到底悪人ではない、又度胸のある男でもない。され・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 厚さ三尺ないし八尺、黒竜江の氷は、なおその上に厚さを加えようとして、ワチワチ音を立て、底から表面へ瘤のようにもれ上ってきた。警戒兵は、番小屋の中で、どこから聞えてくるともない、無慈悲な寒冷の音を聞いた。 二重硝子の窓の外には、きつ・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・味噌汁の表面には、時々煮込こまれて死んだウジに似た白い虫が浮いていた。 八時に「排水」と「給水」がある。新しい水を貰って、使った水を捨てゝもらい、便器を廊下に出して掃除をしてもらう。 それが済むと、後は自由な時間になる。小さい固い机・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ 夫婦は親戚にも友人にも誰にも告げず、ひそかに心でそれを念じながら、表面は何も気にしていないみたいに、長男をからかって笑っている。 母も精一ぱいの努力で生きているのだろうが、父もまた、一生懸命であった。もともと、あまりたくさん書ける小説・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・尼寺のおばさん達が、表面に口小言を言って、内心に驚歎しながら、折々送ってくれる補助金を加えても足らない。ウィイン市内で金貸業をしているものは多いが、一人としてポルジイと取引をしたことのないものはない。いざ金がいるとなると、ポルジイはどんな危・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・その層の一番どん底を潜って喘ぎ喘ぎ北進する汽車が横川駅を通過して碓氷峠の第一トンネルにかかるころには、もうこの異常高温層の表面近く浮かみ上がって、乗客はそろそろ海抜五百メートルの空気を皮膚に鼻にまた唇に感じはじめる。そうして頂上の峠の海抜九・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・それはとにかくとして現今のように各自の職業が細く深くなって知識や興味の面積が日に日に狭められて行くならば、吾人は表面上社会的共同生活を営んでいるとは申しながら、その実銘々孤立して山の中に立て籠っていると一般で、隣り合せに居を卜していながら心・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・ニイチェの驚異は、一つの思想が幾つも幾つもの裏面をもち、幾度それを逆説的に裏返しても、容易に表面の絵札が現れて来ないことである。我々はニイチェを読み、考へ、漸く今、その正しい理解の底に達し得たと安心する。だがその時、もはやニイチェはそれを切・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・ お前は、「それゃ表面のこった、そんなもんじゃないや、坊ちゃん奴」と云おうとしている。分った。 職業を選択している間に「機会」は去ってしまうんだ。「選択」してる内に、外の仲間が、それにありつくんだ。そして選択してる内には自分で自分の胃の・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
出典:青空文庫